1976年 握手する横綱の輪島(左)と北の湖  (c)朝日新聞社
1976年 握手する横綱の輪島(左)と北の湖  (c)朝日新聞社
若かりし日の田中英寿・日大理事長 (c)朝日新聞社
若かりし日の田中英寿・日大理事長 (c)朝日新聞社

 第54代横綱、輪島大士さんが10月8日、亡くなっていたことがわかった。享年70歳。日本大学から角界に進み、花籠部屋に入門。「黄金の左」と呼ばれる強烈な下手投げで一世風靡し、入門から3年で横綱に昇進。日本相撲協会理事長も務めた北の湖親方とともに「輪湖時代」を築き、相撲を支えた。1981年に引退し花籠親方を襲名したが、年寄株を借金の担保に入れていたことが判明して、無期限謹慎処分を受けた。この騒動が影響し、角界を去った。

【若かりし日の田中英寿・日大理事長の写真はこちら】

 その後、プロレスラーとして、全日本プロレスのリングに上がり活躍。タレントや相撲解説としても、人気を博した。現役時代から、稽古前にジョギングしたり、休日にはゴルフをするなどそれまでの角界の常識を打ち破り「型破り」だった輪島さん。筆者は引退後に何度か、食事をしながら話を聞く機会があった。

 その言動はまさに「天真爛漫」で、子供がそのまま大人になったような人だった。現役時代、北の湖と舌戦を繰り広げたことがあった。北の湖が輪島に対し、「もう力が落ちてきたから相手にならない」とコメント。それを見た輪島が激怒した。「北の湖は糖尿病でもうダメだ。俺の方が強いことがよくわかるはずだ」と反撃した。

 そのことについて聞くと、こう笑った。

「あはは、あれは記者から聞かれて思わず言っちゃったんだよ。実は北の湖は雑誌に俺の悪口を言っていたんだけど、俺は本とか雑誌とかぜんぜん、読まない。漢字も難しいのはダメだからね。まあ、ちょっとくらい土俵外で盛り上げたら面白いだろうとしゃべったら、大変なことになった。まあ、それが相撲人気につながったからいいんじゃないか。北の湖と仲が悪いとか言われていたが、そうでもないんだよ。ただ、輪島か北の湖かって言われた時代。仲良くなってちゃ、ファンは面白くないでしょう。(初代)貴乃花は、まあ相手として弱かったから、仲良く酒を飲みに行ったりしていたんだよ」

 輪島さんが、角界を去らざるを得なかったのが、親族の経営する料亭の借金のために年寄株を担保に入れていた事件だった。協会から厳しい処分が下されたが、その件も豪快にこう笑い飛ばした。

著者プロフィールを見る
今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

今西憲之の記事一覧はこちら
次のページ