決勝終了後、涙が止まらなかった金足農のエース吉田(撮影/小内慎司)
決勝終了後、涙が止まらなかった金足農のエース吉田(撮影/小内慎司)
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ギアの入った吉田の投球は見応えがあった(撮影/松永卓也)
ギアの入った吉田の投球は見応えがあった(撮影/松永卓也)
準々決勝の近江戦では、史上初となるツーランスクイズによるサヨナラ勝ち(撮影/馬場岳人)
準々決勝の近江戦では、史上初となるツーランスクイズによるサヨナラ勝ち(撮影/馬場岳人)

 100回記念の夏の甲子園で、大躍進を果たした秋田代表の金足農。農業高校、公立高校に好感を覚え、絶対エースが投げ抜き、スクイズや送りバントで得点の機会を狙い、レギュラー9人で決勝まで進んだ姿に、特に50代以上の高校野球ファンは懐かしき昭和の香りを感じたのではないだろうか。彼らの野球の原点を追いかけた。

【写真】ギアの入った吉田投手のピッチング

 甲子園での金足農の活躍に、地元秋田は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている。秋田だけではない。たとえば、同校生徒らの甲子園滞在費などへの寄付金が全国から約1億9千万円(8月21日時点)集まり、決勝戦のあった8月21日には、ふるさと納税サイトで秋田市への寄付額が前日の2倍以上に膨れ上がり、エースの吉田輝星が「お米はあきたこまち」と口にすれば、都内のスーパーではあきたこまちを手にする客が増えているとか。金足農人気はとどまるところを知らない。

 注目度が高かった理由は二つある。一つはエース吉田の好投、そしてもう一つは、バントやスクイズ、9人野球と、現代野球と逆行するかのような「昭和」を感じさせたプレーではないだろうか。

 走者が出ると、一塁線に送りバント。その打球の勢いは見事なまでに殺される。スクイズで加点すると、球場ではこんな声が漏れていた。

「なんだか懐かしいなぁ」

 今大会の金足農は、56代表校の中でも、原点あるいは伝統的な野球をしていた。甲子園球場で2千試合以上を取材観戦してきたスポーツライターの楊順行氏もこう振り返る。

「(1984年の準決勝で)PL学園の桑田真澄に本塁打を打たれた金足農の捕手の長谷川寿に話を聞いたことがあるが、当時からスクイズは“社是”みたいな感じがあった、と。それを今も貫いているということでしょう」

 楊氏は9人だったからこそ伝統的な野球に徹したという見方をする。

「全国から選手を集められず、他校と6番、7番以降の下位打線を比べると、打力には差があると思う。だからこそのバント攻撃だった。『切れ目のない打線』と頻繁に使われるようになってきたのは平成に入った90年代後半で、21世紀に入ると、のびのび野球やフルスイングといった自由な戦術が出てきて、下位打線にも打力がついてきたからです」

 なぜ9人野球か。記者団の質問に中泉一豊監督の答えは実にシンプルだった。「試合に出場させる選手がいれば起用するが、そうではないので、9人で戦っている」。つまり、9人がベストメンバーであり、控えの選手はけがなどのアクシデントがあった場合に試合に出場するスタイルをとっていたのである。

 数少なくなった公立の農業高校が地方大会から9人で戦い抜いたことへの称賛の声も大きい。前出の楊氏は、「地方の公立高校で個性的な監督がいれば、人気が出る。たとえば、名伯楽蔦文也監督が率いて、74年の選抜大会で準優勝した徳島の池田は、11人で戦い『さわやかイレブン』と称され、人気を博した。今回の金足農は9人で戦い、蔦監督のような個性的な監督とは言えないが、エース吉田を『個性』ととらえてみるといいし、選手が全員秋田県出身であることなど、そこに昭和のにおいを感じたとも言える」と語る。

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