もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は作家の五木寛之さんです。
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もし僕に「もう一つの自分史」があるとしたら、それはあまり長い物語にはなりません。当時は、二十歳までは生きないつもりでしたから。
少年時代は戦闘機の操縦士になりたかった。そして、神風特攻隊として敵の航空母艦に「天皇陛下バンザイ!」と突っ込む。それが「将来の夢」だったのです。
毎晩、その瞬間をイメージしていました。
爆弾を抱えて急降下。操縦桿は最後までまっすぐ押し続ける。でも、直前で怖くなって横に動かしてしまわないか、いや、俺はできる……。
そんなことで頭がいっぱいでした。捕虜にされたらちゃんと割腹自殺できるか、なんてことも考えました。短刀を腹に突き立てることを想像しながらね。幸いなことに、当時の夢はかないませんでした。
もし、少年飛行隊になって特攻機で突っ込んでいたら、それはそれで「やった」という満足感があったでしょう。今考えると、じつに愚かしい。ただ、渦中にいるときは、それが美しい生き方だと思い込んでいたんです。学校教育だけでなく、映画も歌も「のらくろ」のような漫画も、すべてのカルチャーが軍国主義一色で、何の疑問もなく、国のために死ぬことを夢見る中学生になった。無残なことです。
今でも軍人勅諭をそらんじることができます。もはや邪魔でしかない知識ですが、どうしてもいなくなってくれません。
――福岡県で生まれ、すぐに当時日本領だった朝鮮半島に渡った。人生最大の転機を、そこで迎えることになる。岐路は、第2次世界大戦の敗戦の体験だった。