でも、おかげさまで元気だし、体重も二十歳のときと同じです。健康法や健康常識なんて、水を飲めとか飲むなとか、血圧はいくつが標準かとか、言うことがコロコロ変わって、まったく信用なりません。常識や人の意見に従うんじゃなくて、自分の体質やタイプを見極めて、それに合った生活のスタイルにすればいいんですよ。ものの考え方や生き方も、同じことが言えるかもしれません。

 とはいえ、老いは、あらゆるところで感じます。歩いていても中心線をきちんと歩けない。ものは落とすし、記憶力は悪くなる。老いていくということは惨憺たるもんです。親鸞でさえ、老いた自分を嘆いている。ただ、老いを情けないと思わず、客観的に受け止めたい。

 人生の最後は、許されるなら自分で決断して、大事な人たちに見送られながら世を去るのが理想です。人間は生まれるときは、自分の意思で生まれてくるわけではないから、死ぬときは自分で決められる選択肢もあったほうが望ましいとは思っています。安楽死の話をするとバッシングを受けそうですが、日本でもそういうことを受け入れる文化ができて、やがて社会の慣習として広がっていくんじゃないでしょうか。

――作家生活53年目。以前から、自らを「他力主義者」だと言ってきた。死ぬまでの間は、コンディションを維持して「ある程度のもの」を書いて、老いていくつもりでいる。

 人によっては、80歳を過ぎてベストセラーを出すなんて恥ずかしいことだ、という考え方もあるようです。確かにね(笑)。落ち着きがまったくない。しかし僕は、落ち着いた老年より、ジタバタした騒がしい老年を生きていたいですね。

 でも、自分がこうしたいと思っただけでは、物事は形になりません。仕事にしても、自分自身のヤル気や体力があり、場を与えてくれる出版社があり、読者や時代の要望がないとできない。全部が重なるのは奇跡みたいなもの。これまでも船に乗って流されてきたような状態です。がんばって漕ぎ続けてきた感じではないですね。

 時代は変わり、人生は前に進んでいきます。自分たちは何年かあとに消える。昔のことを嘆いていても、今の時代や状況を憂いても仕方ない。最後までしっかり自分を保ちながら、流されていこうじゃありませんか。

(聞き手/石原壮一郎)

週刊朝日 2018年5月18日号