――作家生活の中で2度、3年ずつ休筆。もしかしたらそこで「別の人生」を歩んでいたかもしれない。

 最初は、最も忙しかった1972年、40歳の頃に休筆しました。週刊朝日の大橋巨泉さんとの対談で「そろそろ仕事を休みたい」って言ったんです。そしたらそれをメディアが拾って、「休筆宣言」が流行語みたいになってえらく騒がれました。

 一生書かないつもりではなく、ゆっくり考える時間が欲しかったんです。お世話になっていた小説雑誌の編集長には「五木さん、流行作家というのは『流行』というところにアクセントがあるんだから、また戻ってきてやりますと言われても、もう椅子はないよ。その覚悟はあるのか」って言われたんですよね。僕は「また新人賞に応募しますから」って答えました。本気でそう思っていたんです。

 もともと最初からあまり欲はなくて、本を1冊書きたいとは思っていたけど、どうしても職業作家になりたかったわけじゃない。直木賞をもらったときも、ああそうなのか、という感じでした。

 最初の休筆のときは『戒厳令の夜』っていう長編を手土産に戻ってきましたが、戻れなかったら古本屋か、あるいはジャズ喫茶でもやってたかもしれませんね。

 2度目の休筆は、80年代前半でやっぱり3年ぐらい。京都の大学に通って仏教史を学びました。

 これだけ長くやってこれたのも、途中で休んだ期間があるからかもしれない。ぶっ通しでやっていたら、どっかでくたびれていたでしょう。計画的に休んだわけではないけど、結果オーライになって、自分はラッキーだったと思います。

 人より体力があるわけじゃないから、言葉や文章を道具として使って生きていくしかない。ひょっとしたら、詐欺師という道もあったかもしれませんね。でも、堂々とウソをつく度胸がないからダメかな。

――最近は、1日に二つずつぐらいのペースでインタビューを受けている。テーマは、ほとんどが「老い」と「孤独」だ。

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