元社員らが語る「満鉄の記憶」 目撃したノモンハンの負け戦 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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元社員らが語る「満鉄の記憶」 目撃したノモンハンの負け戦

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発車する満州の特急「あじあ」 (c)朝日新聞社

発車する満州の特急「あじあ」 (c)朝日新聞社

 秋に、ハルビン鉄道局管内北安電気区で信号係保安手として採用。奉天(現・瀋陽)の教習所で、電気や機械の信号装置の設計や工事技術を学んだ。中国人の襲撃に遭遇したこともあった。

「S字カーブで見通しの悪い線路が狙われました。枕木の外側のボルトが外され、列車は脱線しました」

 その後、再びハルビンの電気区へ転勤した。国際都市ハルビンは、各国の外交官やロシア革命で亡命した白系ロシア人、中国人、日本人が暮らす人種のるつぼだった。

「当然、満鉄はスパイを警戒します。書類は厳重に管理されましたし、デザインした防諜ポスターが社内公募に選ばれて、貼り出されたこともありました」(田伏さん)

 川田辰男さん(87)は、茨城県の大子町生まれ。地元の小学校卒業を控えたころ、学校の廊下に貼られていた特急あじあの写真に見入った。満鉄社員募集のポスターだった。

 食堂車のロシア人少女のウェートレスや、赤と緑の「あじあカクテル」が評判のあじあは、冷暖房完備で最高時速が130キロ。小学5年生用の国語の教科書には、「『あじあ』に乗りて」という文章が掲載されるなど、スーパー特急に少年たちは憧れた。

 川田さんが振り返る。

「あじあの機関士になるんだと決心して東京・上野の試験会場へ向かいました。受験者は200人はいたでしょうか。合格した誇らしさに胸を躍らせて船に乗り込んだのです」

 昭和18(43)年4月。北奉天の鉄道教習所に入所し、学んだのは機関車の整備。機関士にはなれなかった、と川田さんは笑う。

 川田さんの左手の人さし指は少し変形している。夜でも作業ができるよう新聞紙で目元を隠してハンマーをたたく訓練で、けがをしたのだという。酒もたばこも知らないが、休日に1度か2度、満映専属女優だった李香蘭の映画を見たのを覚えている。

 豊かな「満鉄」世界を一歩離れると貧困があった。川沿いの土手に何体も置かれた子供の遺体には、カラスが群がっていた。


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