「500万円払うから」1億円選手になった舞台裏告白 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「500万円払うから」1億円選手になった舞台裏告白

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修

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 元西武ライオンズのエースで同チームの監督も務めた東尾修氏は、年俸が大台を突破した時のことをこう振り返る。

*  *  *
 プロ野球の契約更改交渉が各球団で行われている。中日の大島洋平のように、球団とのズレが大きくて、調停も辞さずの強硬姿勢をみせる選手もいる。ただ、今は各球団の主力選手は下交渉することが多いから、一発サインが多くなっている。その意味では、大島のケースは珍しいことではあるし、お互いに意見をぶつけ合って、来季、納得してプレーするような決着をみてほしいよね。

 昔と違って、複数年契約や、細かい出来高を設けるなど、付帯条件も多岐にわたる。査定基準も、かつてからは考えられないくらい増えている。契約更改の席上で条件を提示して、そこから話し合いをする昔のスタイルでは、何日あっても足りない。球団も本当に大変な時代になったと思うよ。

 巨人の菅野智之投手の年俸が3年目で推定1億1千万円と、早くも1億円を超えた。もう1億円を大台と言えない時代が来たな。私が入団した時は年俸180万円。月の給料でいえば、税金や寮費を抜かれて13万円くらいの手取りだったかな。1千万円がスーパースターの証明、いわゆる「大台」とみられていた時代だった。隔世の感がある。

 査定だって、あのころは勝利数、防御率、イニング数くらいかな。勝率なんてない。流行のクオリティー・スタート(先発で6回以上3失点以内)なんて言葉もない。だから、1勝の重みが違った。私がルーキーの1969年。先発して6、7回まで勝っていて、稲尾和久さんにリリーフしてもらったが、逆転されて白星が消えたことがあった。あの1勝で給料何十万円が飛んだかと思うと、冗談の一つも言いたくなったよ。「稲尾さん、僕の1勝分、払ってくださいよ」なんて言った気がする。

 1億円と言えば、私がその大台を突破した時のことも思い出す。86年シーズンの後、87年の年俸で1億円となった。投手では初の大台だった。


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