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「話題の新刊」に関する記事一覧

組長の娘 中川茂代の人生
組長の娘 中川茂代の人生 本書は、刑務所での服役歴を持つ大阪在住の女性のライフヒストリーである。著者である犯罪社会学者が行った聞き取り調査が基になっているが、あえて学術的な議論には踏み込まず、彼女自身の語りを中心に構成されている。  自らの経験は「そんな珍しいもんちゃうで」と断ったうえで、非行の世界に足を踏み入れてから刑務所に服役し、釈放に至るまでの人生が関西弁のリズムで語られる。「ごっつう幸せ」な結婚生活であったにもかかわらず不倫を経て覚醒剤に手を染めてしまった過去、刑務所内の悲喜こもごもの生活、釈放後「真人間」に戻ろうとするも、「過去の亡霊」(非行時代の仲間)が次々と自宅を訪れるなど、一筋縄ではいかないその生きざまに引き込まれずにはいられない。  現在はかつての仲間たちの社会復帰を手助けする彼女だが、それを「支援」と見る著者に対し、本人はあくまで「持ちつ持たれつの関係」と否定。研究者が一方的な解釈を行うのではなく、当事者世界のリアリティを尊重し、その魅力をよりよく伝える一冊だ。
海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録
海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録 2013年9月に惜しまれながら閉店した神戸市の老舗書店「海文堂書店」。閉店までの約10年間勤務していた著者が、お客や店の仲間との思い出をつづった。著者は関西の書店業界では有名人。本屋の棚を写したドキュメンタリー写真集が東京の出版社から刊行されている。  1914年の創業時のことや阪神・淡路大震災で被災した際のこと、閉店までの経緯などが紹介されているが、やはりお客とのやりとりが面白い。「子どもさん連れたお母さんとかが『さあ、ここでチンしてもらおう』『ピーしてもらおう』とかって言うんだけど。海文堂書店は全部手動だから、打ちながら自分で『ピー』とか言ってました(笑)」。レジ担当だった女性が振り返る。他店が電子化していく中で旧式のレジを最後まで使い続けていた。  児童書の担当者は、店内でよく注意していた男の子から、街で見かけた際に笑いかけられたのを思い出の一つに語る。会話の多い店だったことがわかる。閉店直前の著者の日記からは、軽妙な中にも悔しさがにじみ出ている。親しまれた書店の「戦記」である。
全身女優 私たちの森光子
全身女優 私たちの森光子 本書は故森光子の92年の生涯を著名人23人のインタビューなどで構成している。著者は生前の森に取材を申し込んだ。「私自身でさえ知らない森光子の姿を描いてください」との返事をもらい、森を知る人々への取材を開始。本人への初インタビューの前、訃報に接したが、著者は諦めず、一人ひとりの中に“存在”する森光子を聞き出した。  舞台「放浪記」で孤高の作家・林芙美子を演じ続けた森と共演した浜木綿子や奈良岡朋子、山本學。恋人や姉、家族のように交流した萩本欽一や石井ふく子、黒柳徹子、井上順らの言葉が胸にしみる。テレビドラマ「時間ですよ」で、国民的女優だった森と共演した堺正章は「人に格をつけることなく、自分に対しても格をつけさせることを極力避け、スタッフやキャストみんなと同じ高さでいようと努められた」と語る。  本書は丁寧に紡がれた著者から森光子への手紙のような感触だ。昭和から平成の時代を生きた彼女の生涯に、自分の人生の折々を重ね合わせる読者も多いだろう。
日本の中でイスラム教を信じる
日本の中でイスラム教を信じる IS人質事件を筆頭として、今日過激で物騒な印象がつきがちなイスラム教。本書はそれに対し、10年以上の取材から国内イスラム教徒の「普段着」の姿を描いたノンフィクションだ。  入信動機、日頃の習慣、結婚問題など、幅広い視点からその生活を丁寧に浮かび上がらせていく。宗教徒になるためには相当な決心と覚悟が要されるイメージがある。しかし、本書には留学の奨学金に応募する方便として入信した日本ムスリム協会名誉会長、片思いの女性がイスラム教徒だったことがきっかけで入信、親から勘当されかけた会社員男性など、イメージを裏切る多彩な教徒たちが登場する。異文化を遠い位置に感じていたため、その「理解」も高い壁と捉えていたことに気付く。著者は、非イスラム教徒が当事者のようにイスラム教を理解することはそもそも「無理」と断言。「よくわからないけれど、彼らにとって宗教は大事なことらしい」程度の受け止め方でも問題はない、と続く言葉に肩の荷が下りる。イスラム教に限らず、宗教問題全般につきまとうタブー意識から解き放たれる一冊だ。
ネット私刑(リンチ)
ネット私刑(リンチ) インターネットの書き込み情報が、耳目を集める事件の犯人を新聞やテレビよりも早く特定することは珍しくない。「絶対に許さん」と私憤を抱き、容疑者が未成年であろうと実名を晒し、住所や家族も記してしまう。本書は彼らがなぜ暴走するかに迫っている。  一人一人の素顔は素朴だ。背景に特定の思想があるわけではない。大半は軽い気持ちの勢いでの書き込みから始めている。当然のことながら、そのようなことは許されることではないが、顔なき「正義」の私刑は止まらない。  川崎中1殺害事件や大津いじめ自殺事件では、全く関係ない人物の名前や住所、職場までが、ネット上に書き込まれた。風評被害者の話からは、匿名性を担保された人間の攻撃性や醜悪さが我々に突きつけられる。  ネットは生活に不可欠なのは間違いないが、使い方次第で人間の憎悪を短期間で増幅するのに適した装置でもある。「たかがネットの書き込み」も積み重なれば、強大な暴力になる。その危うさを緻密な取材で訴えている。
世界の記憶遺産60
世界の記憶遺産60 7月に韮山反射炉や軍艦島などが「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録されたことが話題になった。富岡製糸場や富士山のときももちろん、世界遺産の話題は常に注目を集める。もっとも、歴史的建造物や貴重な自然以外にも、後世に伝えるべき“遺産”としての価値があるものも、ある。  人権宣言、ベートーベンの「第9」、「アンネの日記」、ロスチャイルド文書、日本からは慶長遣欧使節に関する資料など。文学や楽譜、歴史的文書といった、人類史上において価値の高い文書や記録を保存していくユネスコの事業、それが世界記憶遺産だ。  本書は現在300以上ある記憶遺産の中から、世界遺産に関するシンクタンクの設立者でもある著者が、「文化」「闘争」「歴史」という観点から60をチョイス、分かりやすく解説する。  それぞれがどういうもので、どこが「遺産」に値するポイントなのか、知っていそうでいて詳細は実はあまり知らないような“人類の経験値”の記録を、「かゆいところに」系のように教えてもらえる。

この人と一緒に考える

芥川賞の謎を解く
芥川賞の謎を解く 先日、又吉直樹がお笑い芸人で初の芥川賞受賞となり、話題を呼んだ。読書離れが嘆かれる時代であるが、年に2回の発表時期が近づくと選考の行方に人々の注目が集まる。本書は、芥川賞が昭和10年から始まり、日本を代表する文学賞となり得たその魅力に迫る。  文化部記者の著者は、本書のため152回にわたる選評を読破した。そこから浮かび上がるのは、選考委員たちの血と汗と涙の物語。選考会では文学の「新しさ」を求めて激しい議論が交わされる。対立がなかなか解けず、口論になることもあった。推していた作品が受賞を逃し、高ぶった気持ちを落ち着かせようと「足の裏に血豆ができるくらい」歩き回ったという小川洋子のエピソードからは、選考委員の知られなかった苦労が垣間見える。誰よりも「新しさ」を尊重し、新人への叱咤や激励を惜しまなかった川端康成の姿勢には、文学者としての矜持と厳格さがある。  選考会の現場に立ち会ったかのような生々しい読後感が残る。丹念な調べと取材の賜物だろう。
マンガでわかる永続敗戦論
マンガでわかる永続敗戦論 本書は、2013年に発売、石橋湛山賞などを受賞し、ベストセラーとなった『永続敗戦論』(白井聡/太田出版)のエッセンスをわかりやすくコミック化。ストーリーに沿って読みながらある学者と出会うことで、「永続敗戦レジーム」について理解していくという内容となっている。  原作者の白井氏がいう「永続敗戦」とは何か。第2次世界大戦の敗戦後、東西冷戦構造に規定される形で、アメリカの許しを得て戦前の支配層は再び日本の中枢に舞い戻ってきた。その経緯やCIAの資金提供により結党された自民党がほぼ一貫して政権をとってきたことからも、戦後日本の政治体制は「対米従属」を基本とする半傀儡的なものだった。よって敗戦はいまなお続いているといえる。  現在、ニュースとなっている沖縄の基地問題、原発、TPP、安全保障問題の根幹には何があるのか。本書を読めば、それらの問題は「永続敗戦レジーム」にいきつくとわかる。  白井氏の書き下ろし解説も必見。戦後レジームからの脱却といいつつ、対米従属を深める安倍政権の欺瞞を鋭く指摘している。
はたらかないで、たらふく食べたい
はたらかないで、たらふく食べたい アナキズムを研究する政治学者が現代社会を斬る。著者は大学で非常勤講師をする30代半ばの非正規労働者。年収は80万円。実家に住み、両親の年金に頼って暮らす。  普通の思想書とは一線を画し、思索の出発点はいつも個人的な経験だ。とくに恋人との婚約破棄を扱った章は面白い。初めは互いを思い合うだけでよかったのに、結婚を前にしたら著者の生活が問題になってしまった。大正時代の婦人解放運動家・伊藤野枝の思想をもとに、どんな恋愛も「結婚を想定しているかぎりにおいて、たがいの生きかたを夫や妻の役割に切り縮めざるをえない」と指摘。相手のためが、自分の利益のために変わる矛盾を突く。  市民社会は、働かずに消費もしないことを悪だと思わせてくるが、すでに非正規やニートは市民社会から追放されているとも説く。「そろそろ、消費の美徳とむすびついた労働倫理に終止符をうつときだ」との訴えには共感できる。著者の生き方は「甲斐性なし」と言われてしまいそうだが、考えに血が通っており、ぶれない姿勢に肩入れしてしまう。
ポリアモリー 複数の愛を生きる
ポリアモリー 複数の愛を生きる 「ポリアモリー」という言葉をご存知だろうか。一対一の関係を前提とした恋愛・結婚をめぐる規範(モノガミー)に対し、複数人との交際を前提とした性愛のありかたを指す。本書は大学院で人類学を専攻する著者が、歴史的背景・当事者たちのデビューのきっかけ・交際のルールなど、文献・現地調査をもとに、ポリアモリーの生態を多面的に描き出した一冊だ。  ポリアモリーは1960年代、性を夫婦間に限定する社会規範を疑問視する「性革命」という運動から始まった。と聞くと、とんでもない自由人たちをイメージするかもしれない。しかし、著者いわくポリアモリストの特徴は「白人・中産階級・高学歴」。アンケート調査によれば回答者の半数近くは結婚しているなど、実際はごく身近な存在なのだ。  ポリアモリーを「挑戦的」と捉えていた著者は調査を経て、一対一の関係を継続させるモノガミーこそ「大変な挑戦」と考えるに至ったという。対象者とのやりとりを綴ったフィールド・エッセイも面白く、人類学的調査の魅力を堪能できる。
書くインタビュー
書くインタビュー 異色なのは、メールのみのインタビュー本であることだ。一度も対面しないままに進行していく。しかも質問者からの第一信が〈佐藤さん、疲れませんか〉。仕事でへとへとで気が乗らないとライターが「ぶっちゃけ」てしまっている。  作家歴30年を超え、近年のヒット作は『身の上話』。出不精で地元を離れたがらず、「飛蚊症」「五十肩」をわずらい「鬱」でブランクがあったなど、文中から近況がそれとなく窺い知れる。09年から今年まで、文芸誌「きらら」に連載されたものが下敷きになっている。当初のぶっちゃけライターが失踪。交代した質問者がこれまた〈正午さん〉となれなれしく呼びかけ、佐藤氏を〈無精ったらしい質問の放り投げはやめてください〉といらつかせる。  にもかかわらず、句読点にこだわる「文体」論から「創作」の手の内まで詳らかに語っている。夏目漱石の『坑夫』や、自身の分身ともとれる作中の「元作家」を持ち出し、「書く理由」にも几帳面に返答。コミカルで奇抜に見えるが、衒わず真摯に語るには、佐藤氏にとってこの手法以外にありえなかったのだろう。
ゼロから始めるオクテ男子愛され講座
ゼロから始めるオクテ男子愛され講座 恋愛をしたいけど、どうやって異性とコミュニケーションすればいいのかわからない──本書は、そんな非モテ(モテない)男性の悩みに寄り添った一冊だ。著者は、オタク格闘家の男性との出会いと結婚を描いた『59番目のプロポーズ』のアルテイシア。厳しく、時に優しく、悩める男性を導いている。 「肉食系男子になれ!」と鼓舞して恋愛テクニックを教える一般的な男性向け恋愛本とは違い、「愛され男子になろう」と宣言する本書。まずは「見た目を変える」という基礎中の基礎からスタートする。洋服の買い方、美容院の行き方、表情を豊かにする方法……と一歩ずつステップアップすることを目指す。そこをクリアしたら今度はコミュニケーション。話題の選び方や相槌の打ち方、メールやLINEの送り方など、詳細で具体的な指導が続く。恋愛だけではなく、友人や同僚とのコミュニケーション全般に有効なアドバイスばかりだ。 「非モテに悩むオクテ男子こそ、人生で逆転勝ちできる」。恋愛や恋愛指南本に挫折した男性にこそ読んでもらいたい。

特集special feature

    さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側
    さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側 韓国や中国を標的に異民族を罵る「ヘイト本」。これまで、一括りにされてきた「ヘイト本」だが、編集方針は多様だ。これらがどのようにして量産されたかを本書は検証する。  編集プロダクションの元社員は大手版元からの注文が「日本賛美はしない」「事実以上のことを書かない」という意外なものだったと振り返る。過激な見出しや、データを載せても、安易なナショナリズムに回収させない。煽りながらも、寸止めにすることで責任を曖昧にする。主義主張は実はなく、ビジネスに徹した姿が透けて見える。 「ガロ」でおなじみの青林堂は保守雑誌「ジャパニズム」を刊行する。興味深いのは、採算を度外視している点。同誌の元編集長は「(経営者の)右翼思想、正確にはネット右翼思想をこの雑誌で表現したかったんですね」と語る。  ヘイトデモに対する批判報道も増え、ヘイト本にも一時の勢いはない。とはいえ、出版不況の業界が潜在的な需要の大きさを確認できたのは確かだろう。ブームが再燃してもおかしくない土壌は供給側にも整っている。
    ぼくの短歌ノート
    ぼくの短歌ノート 「ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる」(「身も蓋もない歌」の項)  強烈な短歌に出会ったとたん、人に教えたくなるのはなぜだろう。当代きっての人気歌人が、近現代の著名人や平成の高校生らによる、拡散させたくなるような短歌作品を一冊に編んだ。 「コップとパックの歌」「花的身体感覚」「ハイテンションな歌」など、選歌の切り口は多彩。斎藤茂吉や与謝野晶子はさすが、あちこちに登場する。大家の間に新聞の投稿作が並び、著者が“ななめ上”からの解説を添える。  まさに31文字の小宇宙。奔放な改行、不規則なリズム、五七五七七の定型を無視した破調のたくらみが、丁寧に解き明かされる。引用作と著者が手を入れた〈改悪例〉とを比較する、ワークショップさながらの試みが楽しい。痛切に感じるのは、定型詩であるはずの短歌という表現が持つ、あふれんばかりの自由さである。  メジャーな短歌の間違い探しあり、現代作品のメーキング秘話あり。ちょっと気になっていた人なら一首作ってみたくなる、格好の入門書でもある。
    凄い!ジオラマ
    凄い!ジオラマ 漁港の造船所で出航を待つ漁船、草むらで錆び落ちるビートルとベスパ、バットマンや宮崎アニメの世界。ページをめくるごとに現れる写真一枚一枚のリアリティは、すべて実景と見まごう。写真はすべてリアルに作り込まれたミニチュア情景模型、ジオラマ作品なのである。  ジオラマ界のトップモデラーである著者が作り出す超絶リアルな「小さな世界」。作品集でもある本書に収録された作品ひとつひとつの、精密に作り込まれたディテールに、「マジか」「すげえ」「ファーー」と、驚嘆・感嘆しきり。  ディテールのリアルさだけではない。朽ちた船がたどった歴史、道ゆく人や横たわる猫から感じ取れる心象風景、情景の中には「物語」がある。その指先だけであらゆる世界を作り出すことができるジオラマ製作者は、監督であり脚本家であり、演出家、美術監督、〈すべてを担当するマルチクリエイター〉だと著者は言う。  本書には簡単な製作法も記されていて、自分もそんな「物語」を紡ぎ出してみたくなる衝動にかられるが、ムリかな、たぶん。
    近代政治哲学──自然・主権・行政
    近代政治哲学──自然・主権・行政 現代フランス哲学を専門とする著者が、「封建国家」が崩壊して「近代国家」が形成された16世紀以降の西洋思想家たちの著作を読み直し、そこから現在の政治体制が抱える、さまざまな問題点の打開策を探っている。  紹介される思想家はホッブズ、ルソー、カントら7人。著者は「自然権」「主権」という概念に着目し、各概念が思想家ごとに深められる過程を考察する。後半では、主権者が有する立法権と、法律に基づき個別・具体的な政策を行う執行権(行政権)の対立に焦点を当てる。「実際の統治においては、行政が強大な権限を有している」として、主権を従来の立法権中心に考えることの問題を指摘。「主権はいかにして執行権力をコントロールできるか」が現代民主主義にとって重要だと説く。  著者は東京都小平市の都道建設計画の見直しの是非を問う住民投票の活動に加わった経験があるが、そこで市民と、市長・市議会の間の壁の厚さを感じたであろうことが、執筆動機に作用しているように思える。古典によって現代を問い直す、野心的な一冊だ。
    夏目漱石、読んじゃえば?
    夏目漱石、読んじゃえば? 「小説を面白がるのに決まったやり方があるわけじゃない」。なんとも心強い主張の下、明治の大文豪のとっつきにくいイメージがみるみるうちに解体されていく。教科書や国語便覧にはけっして書かれていなかった、昂揚感あふれる名作の愉しみ方を教えてくれる一冊だ。  著者は『「吾輩は猫である」殺人事件』をはじめ、パスティーシュやパロディの名手としても知られる奥泉光。彼の手にかかれば、『坊っちゃん』は「中二病」ないし「コミュ障」の物語に、『こころ』にいたっては「国民的ネタバレエンタメミステリー」(!)として捉え直されることになる。他にも「最初から最後まで全部読む必要なんてない」「物語の流れを理解していなくてもかまわない」等々、読書そのものに対するイメージが一新される。  読書が人生の役に立つかどうかはわからない。けれど、「人生は読書の役に立つ」。中学生以上を対象にした「14歳の世渡り術」シリーズの一冊だが、そのユニークな視点と柔軟な発想は、氾濫するコピペ情報にがんじがらめになっている私たちにこそ必要なのでは。
    東海道中床屋ぞめき
    東海道中床屋ぞめき がちゃがちゃした気配がぷんぷんの写真集だ。日本橋から京都までの86軒の床屋さんを撮影し、92枚の写真を掲載している。  主人公は「店」の佇まい。ひやかしを「ぞめき」というのだそうだ。その言葉のように、ずけずけと覗き込んでいく。目につくのは黒いピアノ、やかんを載せたストーブ、片眼だけ墨の入ったダルマさん、女優のモノクロ写真、椅子の破れを補修したガムテープなど。年季が入り、いい具合にくたびれている。自然と子どものころに通った店を思い浮かべる。  人間は登場させないポリシーと得心しかけるや、小型犬を連れたサンダル履きのオバチャンが現れる。店を遊び場にしている子どもたちも登場する。時間が止まったかのような昔のままの姿の写真集かと思うと、薄型テレビがデンと主張し、ギターや碁盤が我が物顔で写っている。現役感たっぷりのノイズに満ちている。  写真集を閉じようとして、ようやく言葉に出会う。フリーランスから出版社勤務に転じた著者の「あとがき」の言い訳にひきつけられた。

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