ガリレオ裁判
歴史に残る偉業を成し遂げた人が、人格的にも優れていたとは限らない。科学者は科学者として、戦争の名人は戦略家として、優れていたのだろう。でも、人間としてはどうか。 ガリレオの話なのに、本書はナポレオンの逸話ではじまる。ナポレオンは征服した土地から様々なものを持ち帰ったが、ローマ教皇庁からは膨大な文献を持ち去った。ガリレオ裁判の記録はその目玉だった。 裁判を検証し、教会の蒙昧さを暴こうとしたのだが、整理は遅々として進まず、やがてナポレオンは失脚。文書は返還されるが、運搬費用のためにかなりの史料が業者に売り払われた。おいおい。 ガリレオ裁判の記録も一部失われ、けっきょく近年になってヴァチカンから出版された。 「それでも地球は動いている」の決め台詞は後年の創作で、本人はそんなことは言っていない。それでもガリレオの業績は変わらない。だから彼は、教会と闘った科学の英雄と思われてきた。 だが、現実は違ったらしい。 ガリレオもキリスト教徒だし、世渡りも考える普通の人間だった。有力者に取り入ったりもする。一方、教会内部にも本音ではガリレオの研究成果を認める知識人は多く、どうにか彼の知見と教会の教えを調和させようと骨を折っていた。 地球の自転と公転を「仮説として」考えることは容認されており、ガリレオもその線で行動する。しかし教会内部の派閥対立もあって、ついに異端審問にかけられる。 審問でのガリレオは日和りまくる。「軽率な間違い」で済むチャンスを見逃し、地動説を否定する明確な証明を『天文対話』に書き加えたいなどと、自分から申し出たりもする。これは却下されたが、おかげで『天文対話』が科学史上の名著として残ったのは皮肉だ。 「なーんだ」と思う人もいるかもしれない。だが、そんな男が、それでも事実にたどり着き、周囲の顔色を気にしながらも書き記したのは、別の意味でドラマチックだ。
週刊朝日
12/3