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「話題の新刊」に関する記事一覧

究極にうまいクラフトビールをつくる
究極にうまいクラフトビールをつくる ビール離れが進む中、動き出したキリンビールの異端社員の挑戦を追った一冊。大量生産のビールづくりに背を向け、社内の反対にあいながらも個人の嗜好に合わせた「クラフトビール」の専門店を出店するまでの道のりを描く。  ドラマかと思うほど、登場人物は個性的だ。「淡麗」「氷結」などヒット商品を連発し、ビールでの世界平和への貢献を真剣に目指す奇才、「ビールの精霊」と話す凄腕の醸造技術者、会社員には見えない伝説の営業マン。本書が秀逸なのは彼らをスーパーマンのように扱わない点。異端とはいえあくまでも会社員であり、葛藤を抱えている。プロジェクトがゆっくりと前進する現実を丁寧に辿っており、読み手は共感を抱くはずだ。読みながら、飲みたくなる。彼らの挑戦は間違っていなかったのだろう。
アイ・ラブ・ユー イエス・アイ・ドゥー
アイ・ラブ・ユー イエス・アイ・ドゥー 加山雄三の作曲家としての別名「弾厚作」作品の普遍性と不変性。ピンキーとキラーズの“夜明けのコーヒー”やザ・ピーナッツの“靴下直してるのよ”などちょっとドキリとするフレーズを歌詞にちりばめた、作詞家・岩谷時子の世界。ゆず「栄光の架橋」が、「栄光“へ”の架け橋」でないことの意味とは。あこがれのハワイ、「歌本」の変遷……。  作曲者経験もある著者が「私的『昭和大衆歌謡考』」と銘打つ歌謡曲コラム集の第3弾。“和製ポップス”の登場から初期の大瀧詠一あたりの年代を中心に、日本のポップスが広がりをみせていく流れを独自に考察したコラムで構成。  一部のCDは中の曲も聞かれない“お布施アイテム”になった今。街に「うた」があふれていた時代の大衆歌謡を再考察してみたい。
燈火
燈火 私小説の大家である作家の最後の連作短編集。自らに流れる血を肯定できず、苦しんだ物書きの主人公が築いた家庭の日常を描く連作『素顔』の続編になる。  50代半ばになった主人公は、妻と娘3人と東京で暮らしている。物語は、吐血した主人公が病院の個室で臓腑が破れる音を回想する場面に始まる。縁側の揺り椅子で妻がひっそりと泣いていたと聞かされ、妻に問いただすと、妻は夫の希望で染髪をやめたものの、知人に言われた言葉を吐露する「涙」。夜が明けたばかりの時間に台所でしのびやかな物音を立て、厚焼き卵をこしらえていた長女が「一番気の合う男友達」に会ってほしいと話す「春」。平穏な暮らしの中に歳月の深まりが感じられ、9話目の未完が惜しまれる。巻末に長女の文章と、佐伯一麦による解説が添えられる。
山口組 顧問弁護士
山口組 顧問弁護士 著者は長年にわたり、日本最大の暴力団山口組を支えてきた元顧問弁護士。ヤクザと知り合い、付き合いが深くなる過程や組幹部の素顔を赤裸々に明かす。  80年代に跡目争いが内紛に発展し、世間を震撼させた「山一抗争」のキーマンの葛藤や、昨年から続く分裂騒動での両陣営のトップの心理。垣間見える人間味は組織に深くかかわりながら、出自が異なる著者だから見聞きできたのだろう。  ヤクザは決して美化できないが、本書が指摘するように必要悪として存在していた事実は否定できない。暴力団を壊滅させることが、組織を地下に潜らせ、皮肉にも治安の悪化につながるとの懸念はポジショントークとしては片づけられない。  興味深いのは月額の顧問料。面子と見栄の世界にしては表向きの報酬とはいえ高額でなく、驚きを覚える。
巡礼日記 亡き妻と歩いた600キロ
巡礼日記 亡き妻と歩いた600キロ 国立がんセンター名誉総長が、40年間つれ添った伴侶をなくし、四国八十八カ所の巡礼に出た体験を綴る。  がんを患った妻の死から7年。破滅的な生活を経て喪失感とともに暮らす著者は、わざと酷暑を選んで出発する。9キロもの荷物を背負い、白装束の笈摺の下に登山用パンツ、菅笠に金剛杖、それに履き慣れた登山靴の出で立ちだったが、初日から全身が痛み、凄まじい発汗に汗疹ができて痒さに寝られず。3日目からは足指のマメの水を針で抜きながらの旅になった。日陰のない海岸に沿う道は、地面からの照り返しで脳漿が煮え立つよう。そんな中を右、左と機械的に歩みを進め、「南無大師遍照金剛」と妻への感謝の言葉を交互に唱え、いつの間にか妻への感謝に満たされていた。この無我の境地に至るまで、著者の心はいつも新鮮だ。
あなた 河野裕子歌集
あなた 河野裕子歌集 〈手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が〉  この歌を詠った翌日、歌人・河野裕子は世を去った。2010年8月、蝉の鳴く頃だった。 〈雨?と問へば蝉声(せんせい)よと紅は立ちて言ふ ひるがほの花〉  本書は、夫で歌人の永田和宏、息子の淳、娘の紅が1500首余りを選んだアンソロジーである。生涯に出した15冊の歌集をたどるうちに、家族のなかの河野の姿が徐々に立ちあがってくる。 〈しんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ〉  たとえばこれは河野が初産のときに詠ったもので、歌集『ひるがほ』に収められている。先に挙げた歌は、この歌を踏まえていると気づく。最期まで息をするように詠った河野は、妻であり母であり、なにより歌人であった。

この人と一緒に考える

GORILLA My God 我が神、ゴリラ
GORILLA My God 我が神、ゴリラ 著者は父の仕事の関係で高校の2年間をアフリカで過ごし、ゴリラと出会い、強く惹きつけられた。将来の仕事はゴリラ研究者か、もうひとつの興味の対象=競馬か──進路に悩んだ末に馬を選び、厩舎を開業して20年が経つ。JRAと地方競馬で通算235勝(2016年9月時)、08年には管理馬スマイルジャックがダービーで僅差2着。日本中を飛び回る調教師として活躍中だ。  だが近年、断ちきったはずのゴリラ愛が蘇り、保護活動につながるゴリラトレッキングツアーに参加するなど毎年アフリカに通う。騎手の武豊が「ゴリラとも話せるなんて」とびっくり?しているとか。  シルバーバックの迫力巨体や思慮深い瞳など、著者が撮ったゴリラや、現地の子供の写真も満載。“地球愛”を感じる素敵な一冊だ。
父母(ちちはは)の記 私的昭和の面影
父母(ちちはは)の記 私的昭和の面影 86歳になった思想史家が、自身の大連からの引き揚げの記憶と生い立ち、共産党への入党のほか、若い時に知遇を得た人らについて綴った。  日活専属の活動弁士だった父親には、ほとんど切れ目なく隠し女がおり、勘のいい母親は、さっさと見限るようにも、父親の善良さと男振りを愛していたようにも映ったという。著者は父母の夫婦喧嘩に悩まされ、中学に入るまで、12歳上の異母兄を実の兄と信じて育つ。中学2年のころ詩と文学に開眼し、3年生から4年生にかけては詩と短歌ばかりを書き、行く末は一所不住の詩人の境涯しか夢見ることができなかった。  吉本隆明や橋川文三との思い出も明かされる。たくさんの出会いの中で、誰をもっと大切にしなければならなかったかがようやくわかって来た、とは深い言葉だ。 ※週刊朝日 2016年11月4日号
山谷 ヤマの男
山谷 ヤマの男 眼光の鋭い元ボクサー。タオルの鉢巻きをしたジャージ姿の男……。背景に黒布を垂らしただけのポートレートなのに、撮影した場所の空気が伝わってくる。  東京都台東区から荒川区にある日雇い労働者の街「山谷」の男たちから「写真屋のネエちゃん」と呼ばれた著者の写文集だ。  両親は「あしたのジョー」にも登場する泪橋の交差点近くで大衆食堂を営んでいた。だが子供の頃は近隣への出入りを禁じられていたという。「山谷の男だけがもっている、もたされている生の証を写したかった」。1999年、33歳のとき、公園の一角に暗幕を張り、青空写真館を設営。以来、100人を超える肖像を撮影した。  男たちから聞き出した打ち明け話は、虚実に夢が混ざる。彼らの風貌を確かめるため、何度も写真の頁をめくりなおしてしまう。
ジェイムズ・ジョイス
ジェイムズ・ジョイス 20世紀を代表するアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイス。彼の生涯と文学に対する姿勢を、アイルランド政府及び金融機関に勤めた著者が綴った。 『ダブリンの市民』『若い芸術家の肖像』『ユリシーズ』……。ジョイスは故郷ダブリンを舞台に、貧しさの中に生きる平凡な市民の姿を描き続けたが、作品が祖国で出版・販売されることはなかった。また、カトリック教会の組織を〈アイルランドの敵〉と批判し、司祭の前で結婚を誓うことを厭い、妻のノーラとは27年もの間正式に結婚せずにいた。だが、極貧生活を送る彼を、アイルランド人作家で当時第一人者とされたイェイツや、パリにシェイクスピア・アンド・カンパニー書店を開いたシルビア・ビーチなど多くの友人が支援した。そんなジョイスの魅力がつまる。
町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう
町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう うまいわけではない。安いわけでもない。中華料理屋のたたずまいだが、カレーやオムライスも提供する。何に惹きつけられるのかと問われれば説明が難しい大衆中華食堂。本書では「町中華」と呼び、北尾トロらが探訪する。  町中華の定義が曖昧なように、楽しみ方も多様だ。店主の厨房での鍋や化学調味料を振る手際の良さに驚嘆したり、美味しくないと評判の店にあえて入り、スリルを味わったり。メンバーたちはグルメサイトの星の数では表せない店の魅力を切り取る。  とはいえ、町中華は存亡の危機だ。「味はそこそこで安い」が売りだったが、チェーン店の台頭で競争力は失われた。経済合理性の土俵から下り、雰囲気や店主の個性を武器に営業している光景は郷愁にかられる。読み終えれば、町中華が恋しくなるはずだ。
大津絵 民衆的諷刺の世界
大津絵 民衆的諷刺の世界 江戸時代に全国的な人気を博していた無銘の庶民絵画がある。東海道のお土産として売られていた大津絵だ。本書では、フランス人の研究者が大津絵の歴史と魅力を分かりやすく解説する。  初期は神仏画として、のちには護符的な役割を持つ世俗的な絵として庶民の日常に浸透した。無名の絵師たちは絵を手早く量産するため、線や色を大胆に省略していく。その結果、絵に登場する神々や鬼たちは、今日の「ゆるキャラ」のように親しみやすくてユーモラスな雰囲気を放っている。  念仏を唱える鬼、鬼に豆を撒かれて逃げ惑う神、酒に飲まれた鼠に嬉しそうに肴を差し出している猫。面白可笑しい図像から伝わってくる大津絵特有の諧謔と諷刺の精神は、今でも色褪せていない。  大津絵の魅力を存分に楽しめる良い入門書だ。

特集special feature

    人口と日本経済
    人口と日本経済 「人口減少」は今もっとも関心を集めるキーワードのひとつだ。景気が悪いのも、年金制度が崩壊しそうなのも、みんな人口減少のせい。  吉川洋『人口と日本経済』は、人口減少問題を経済学の観点で整理した本である。そう悲観的になりなさんな、というのが著者の主張だ。  まず著者は経済学が人口をどう考えてきたかを概観する。マルサスやらケインズやら、学者の考え方はそれぞれだ。次に、日本が直面する問題の整理。日本は人口減少と超高齢化が同時進行している。そのため社会保障関連にお金がかかる。人口減少がはげしい地方の市町村はインフラ維持も大変だ。  じゃあ、このまま日本国は滅びていくのか。そうではない、と著者はいう。経済成長すれば社会は維持できるし、経済が成長するかどうかを決めるのは人口ではなくイノベーションなのだから。労働力が減るから経済成長は不可能だというのは短絡的だ、イノベーションで生産性が上がれば無問題、というわけである。「経済成長しなくていい」なんて主張には騙されるな、といいたそうだ。  いっていることはわかるけど、しょせん「たら・れば」の話。逆に、イノベーションがなければ、この国は沈んでいくということだ。  誰だってイノベーションを起こしたいと思っている。でも起こそうと思って起こせるものでもないし、大企業や金持ちを優遇したからといって起きるものでもない。首都圏の鉄道会社は来春から通勤電車にも指定席の導入をするそうで、こういうのもイノベーションだと著者はいう。なんか、話がしょぼくないか。
    アンニョン、エレナ
    アンニョン、エレナ 人はどこから来て、どこへ行くのか。韓国の女性作家によるこの短編集には、どこに辿り着くかも知れず黙々と生きていく人たちが描かれる。  表題作は遠洋漁業船の船員だった父を持つ女性の話だ。海外旅行に行く友達に「私」は旅先で出会ったエレナという名の人の写真を送ってくれるよう頼む。「あの港の〈エレナ〉たちはな、みんな俺の子どもだ」というのが亡き父の口癖だったからだ。「種だけは撒いてきたから、何とか自分たちの力で生きていくだろう」と父は言っていた。「私」がエレナたちに引かれるのは、「私」が自分の力で何とか生きていかなければならないもう一人のエレナだからであるだろう。 「キャンセル不可」な人生を静かに耐え抜こうとする人たちに「すばらしい」と声をかけてくれるような温かい小説だ。
    テニスプロはつらいよ 世界を飛び、超格差社会を闘う
    テニスプロはつらいよ 世界を飛び、超格差社会を闘う 34億円。プロテニス選手の錦織圭の年収だ。淡い幻想を抱いてしまうが、「テニスで食べる」のは想像以上に難しい。テニス雑誌元編集長の著者がプロテニス選手の経済事情を赤裸々に明かす。  主人公は錦織より2歳年下の関口周一。世界ランキング最高位は259位。中学校から完全にテニスに専念、高校も通信制を選んだ。サラリーマン家庭に育った彼がプロになるまでの家計の負担、そして今の収入。日本ではトップ10に入っており、海外を転戦しているが、年間の獲得賞金は200万円にも満たない。  関口はジュニア時代は世界ランク5位にまでのぼりつめ、将来を嘱望された。一つの試合の一つのミスで歯車が狂い始めるのだが、それは一流と二流の差が紙一重であることも物語る。関口の再飛躍に期待したい。
    わがまち再生プロジェクト
    わがまち再生プロジェクト まちづくりの実務に携わる著者が地域再生の方法論を紹介する。土地の個性と独自性を見つけ、その価値を磨いて輝かせる「ふるさと見分け・ふるさと磨き」と社会的合意形成の重要性を指摘する。  著者が関わった出雲大社の表参道・神門通りのプロジェクト。車の参拝客が増え、さびれてしまった参道を再生するため、著者は地元自治体と専門家、市民を招き、まちを歩いて課題を確認し、話し合いの場を設けた。2年間の議論や実証実験を経て現存する松並木を生かす形で歩道を拡幅。車の減速を促しながら景観も回復させ、歩いて楽しい道が蘇った。  新潟県佐渡市や宮崎県高千穂町など計八つの成功例が紹介され、地方創生にトップダウンも万能薬もないことが分かる。故郷への思いをすり合わせ、行動する人々の奮闘に心動かされる。
    ふじようちえんのひみつ
    ふじようちえんのひみつ 東京都立川市にあり、600人強の児童がドーナツ型の園舎の屋根の上を走り回るふじようちえん。その園長が、ユニークな建築デザインの効能やモンテッソーリ教育に基づく子どもの育つ環境を語った。  現在の園舎は2007年に完成。子どもたちがおのずと走り出したくなる楕円形の屋根は一体感を生み、仲間外れが起こりにくいという。その屋根を突き抜けて3本の大ケヤキが生え、子どもたちは登って遊ぶ。園庭でのイベント時、彼らは屋根の上に一周するように集まり、柵から足を投げ出して座る。また、砂場には定期的にきれいな石がまかれ、「昨夜は流れ星が多かったから」などと夢を広げつつ、見つけた石は持ち帰っていいとするのだ。園ではポニーが飼われ、誕生月になると乗せてもらえる。大人も心躍らせずにはいられない。
    ウルトラQの精神史
    ウルトラQの精神史 放送開始から今年で50年を迎えたテレビ番組「ウルトラQ」。そこで描かれた「戦後日本」の社会を、文化評論を専門とする著者が解読する。  著者は各回のエピソードに注目し、その作品に刻まれた時代の特色や文明論的な課題を浮き彫りにしていく。例えば、人間をミクロ化する挿話に、当時の人口増加の問題を見いだしたり、地球人と同化する宇宙人の姿に、米軍によって日本から切り離された「沖縄」を見いだしたり。また東京を破壊して成長する巨大植物に、日本の社会基盤が崩れることへの、不安の顕在化を読み取っていく。  終章で扱われる「2020年の挑戦」(第19話)には、同年の日本が直面するであろう課題が予言されているという。日本を救うのはウルトラマンではなく、「Q」でも奮闘した日本人一人ひとりなのだ。

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