写真家・熊谷聖司さんの作品展「眼の歓びの為に 指の悦びの為に この大いなる歓喜の為に わたしは尽す」が5月25日から大阪・心斎橋のギャラリーソラリスで開催される。熊谷さんに聞いた。
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「光、としか言いようがないというか、そういうイメージですね」
熊谷さんは撮影中、ファインダーの向こうに何を見ているのか? 答えは「光」だった。
「光を見たいというか、光しか見ていないというか。自分が写真を撮っている意味というのはそこで、すべての作品に関して一貫しているのが光なんです」
タイトルに「眼の歓びの為に」とあるように、「目に光が入ってきて、何かを写す。もしくは何かを見て、何かを感じ、何かを起こす。そういうことをひっくるめてダイレクトに表現する」。
そう言うと、熊谷さんは展示作品の一枚を手にした。
写真の画面の下には車が止められ、窓ガラスやボディーに太陽の光が反射し、となりの壁にゆらゆらと揺れるような模様を描いている。低い太陽が林の向こうからこちらを照らし、空と手前の水面がオレンジ色に輝いている作品もある。
■これは確かに光なんです
しかし、「光って、目にダイレクトに入ってくる」という作者の強い言葉のイメージとは違い、まばゆい光を感じさせる作品は少なく、どちらかといえば、淡い微かな光を感じさせる写真が多い。
窓ガラスににじんだように丸くぼんやりと広がる青い光。その奥に見える車のテールランプ。壁にはめ込まれたタイルの表面のぬるりとした光。ぬれた夜の路面を彩る赤や紫の光。象が描かれた塀を照らすおぼろげな光。
それは誰かの記憶の断片を見るようなノスタルジックな光で、薄れゆく遠い日の記憶を照らすような感覚を覚える。
「今回の作品はすごく暗いというか、光にあふれているものはあえて入れなかったんです。夜の光もあるし、あるのか、ないのか、わからないような光もある。でも、自分のなかではこれは確かに『光』なんです。強い光のイメージは『この本』に関してはなくてもよかったんです」
「この本」というのは何なのか? たずねると、展示作品の土台となった同名の写真集だという。
その題名が「眼の歓びの為に 指の悦びの為に この大いなる歓喜の為に わたしは尽す」で、「本のタイトルとして考えていたんですけれど、なんか、文章になってしまった」と説明する。
ただ、当初は「本を出す予定なんか、まったくなかったんです。でも、写真を並べているうちに本をつくりたくなってきた」。