女中たちの噂では、この部屋方は、普段、とかくうっかりした様子の人で、たぬきに魅入られたのではないか、ということだった。大奥にはとにかくたぬきがたくさんいて、よく出没していたという。そのことから起こった噂である。

 乗物部屋は、入り口が二つずつあったが、丈夫な錠前がかけられていて、日々、封印もあった。そのうえ、乗物には外箱が付いているのだから、その中に人を入れて殺すなどということは、常人のわざではない。

 結局、事件は迷宮入りとなり、ただ大奥の怪談として言い伝えられることになった。

 もちろん、しばらくは大奥女中たちは恐怖にかられ、夜は誰一人、長局の廊下にさえ出ようとはしなかったという。

■大奥での事件処理とは……

 こうした事件の時、長局には大勢の人夫が入ってきて、捜索する。女手では無理だからである。その心付けは、その部屋方の主人であるおりうがすべて負担し、ずいぶんな物入りだったという。現在と違って、事件であっても、その費用は当事者が負担することになっていたのである。

 また、乗物をだめにした中年寄の藤島も、乗物を新調した。網代鋲打ちの乗物は中級程度の品であるが、それでも二十両前後の出費となった。藤島も、とんだ災難だった。

 こうした不思議な事件は、大奥でしばしば起こり、怪談となって残っている。行方不明になった女中の死体が天守台から落ちてきたこともあり、いじめにあった女中が井戸に飛び込んで死んだということもあった。

 しかし、すべての事件は、大奥限りのこととされ、表向きには、病気につき宿下がりという形で処理された。幕府内に不祥事などあり得ない、という建前があったからである。体面を重視する組織には、ありがちなことである。

◎山本博文(やまもと・ひろふみ)
1957年、岡山県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院修士課程修了後、東京大学史料編纂所へ入所。『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。著書に『「忠臣蔵」の決算書』『大江戸御家相続』『宮廷政治』『人事の日本史』(共著)など多数。学習まんがの監修やテレビ番組の時代考証も数多く手がける。2020年逝去。