朝から夕方まで探して見つからないので、仕方なく「御役方(おやくかた)」に届けた。「御役方」とは、大奥警備の責任者である御広敷番(おひろしきばん)の頭であろう。

 それで大騒ぎとなり、「御役人衆」が、配下の人足を連れて長局に入り、行方不明の部屋方を捜索させた。しかし、夜も更けて来たので、その日の捜索は打ち切った。

 翌日は、朝から長局の二十五か所の井戸、縁の下、長局の部屋、部屋の物置、乗物部屋(「乗物」とは、高級女中が外出の時に乗る駕籠)などを探したが、見つからない。こうした場合、「御役人衆」である御広敷番の頭やその配下の添番(そえばん)は、捜索の監督を行い、井戸や縁の下などを実際に探すのは、身分の低い御下男(ごげなん)などの人足である。

 それから三日間、捜索は続いた。長局のあちこちに添番が立ち、長局中を人足が何度も回って探し歩いたのである。

 四日目、いよいよ見つからないので、乗物部屋にある乗物をすべて出し、その中を改めることにした。長局には乗物部屋が五か所あり、それぞれ七、八十も乗物が収容されていた。

 大勢の人足が乗物部屋に入り、次々に乗物の上箱をはずし、油単(ゆたん=湿気防止のための油をしみこませた紙や布)に包んである乗物をいちいち取り出して改めた。すると、二之側乗物部屋の藤島という中年寄(ちゅうどしより)の網代鋲打ちの乗物を開けた時、その中で全身血だらけになった部屋方の死体があった。

 部屋方は、乗物の中であおむけになり、局所をあらわにしていた。乗物の中は血がたまって、体には全く血が残っていない状態だった。

 さっそく、奥詰医師が長局に呼ばれ、検死した。血はすでに黒くなっていたから、よほどの時間がたっていることは想像されたが、いつ殺されたかは分からなかったという。

■迷宮入りとなった殺人事件

 大奥内での殺人事件ということでは外聞も悪く、まず生きていることにして、駕籠(かご)に乗せ、宿元(やどもと=身元引き受け人)に戻した。病気ということで宿下がりさせ、宿元で死んだということにするのが、こういう場合の慣行だった。

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大奥での事件は「怪談」として残った