性暴力被害者を表す言葉は、どのような言葉を使っても、胸の奥が抉られるような思いになる。十分な食事も与えられず、丸太のように寝たまま、性器を洗う間もなく、一日に何十人もの男性の性器を挿入させられる生活は、まさに性奴隷状態だった。とはいえ、「性奴隷」という言葉はあまりにも重い。語るたびに屈辱と痛みを強いる言葉に私自身がひるみ逃げたくなってしまってどうしても使えない。また、“元慰安婦”と表現する新聞やテレビは少なくないのだけれど、この言い方にも、とっさに目を背けたくなる。「元性暴力被害者」という言い方がないように、「元慰安婦」という“肩書”などないはずなのに。「慰安婦」=性暴力被害者という認識がないことが、“元慰安婦”という言葉からは見えてしまう。とはいえ、性暴力被害者に対してぴたりとはまる適切な呼称など、いったいあるのだろうか。

 数年前、故・金福童(キム・ボットン)さんにお話を伺ったことがある。亡くなる数カ月前の貴重な時間だった。金福童さんはそのとき私に「人権活動家、金福童です」と自己紹介してくださったのだった。金福童さんは、2010年代の「慰安婦」運動の中心に立たれ、国際世論を動かし、多くの若者を導く存在になられた方だ。文字通り、人権活動家として多くの人に尊敬された方だった。すさまじい性被害を受け、そのことを告発した女性が、誰もが認める人権活動家として社会に尊敬される存在となる。ご本人がまっすぐに「私は人権活動家です」と相手の目を見つめる。その重い事実に私は圧倒された。

 今年、縁あって、韓国で2018年に書かれた『咲ききれなかった花』という本の翻訳出版をすることになった。「慰安婦」にさせられた女性たちに絵を教えた美術の先生が、女性たちとの思い出を記した本だ。最初は、花瓶などの身の回りのものを描く授業だったのが、次第に女性たちは自らの過去をキャンバスに描きだすようになる。それが図らずも、性暴力被害のトラウマ治療になっていく静かな時間が描かれている。本の中では「慰安婦」という言葉は使われず、「日本軍性奴隷制被害者」と表されていた。韓国社会で「慰安婦」問題は、挺身隊問題や 日本軍「慰安婦」問題などと称されていたが、国際機関や国内外の社会団体を中心に今は、「日本軍性奴隷制被害者」という用語を公式に使用するようになっているという。日本軍の制度的・組織的犯罪であることを明確にするという意図がそこにはある。

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なかったことにしないでほしい