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漫画のようなエピソードも! “無名校”を甲子園に導いたプロ野球選手たち

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久保田龍雄dot.
渋谷高校時代の中村紀洋 (c)朝日新聞社

渋谷高校時代の中村紀洋 (c)朝日新聞社

 プロで活躍した選手の中には、無名校出身ながら、地方大会で大車輪の働きを見せ、チームを甲子園に導いた“伝説の球児”も何人かいる。

【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!

 創立74年目の府立高で甲子園初出場の悲願を実現させたのが、渋谷の2年生・中村紀洋(元近鉄-ドジャース-オリックス-中日-楽天-横浜)だ。

 1990年夏の大阪大会は、センバツVの近大付と同4強の北陽の“2強”を、上宮、PL学園などの実力校が追う展開。前年の4強・渋谷もダークホース的存在ながら、私学強豪の厚い壁を破って甲子園に出場するのは、至難の業とみられていた。

 ところが、近大付が5回戦、北陽も準決勝で相次いで敗れる大波乱の結果、比較的組み合わせに恵まれた渋谷は、準決勝までの6試合中5試合までが3点差以内という接戦、また接戦を制して決勝まで勝ち上がった。相手は、2年連続の甲子園を狙う上宮。エース・宮田正直(元ダイエー)、中村豊(元日本ハム-阪神)、西浦克拓(元日本ハム)の3、4番など、後にレギュラー6人がプロ入りしており、下馬評は圧倒的に上宮有利だった。

 だが、初回、4番・中村の左越え先制2ランがチームを乗せる。追いつかれた直後の3回にも、バックスクリーンへ2打席連続弾となる特大3ランを放ち、試合の主導権をガッチリ握った。

 中村は4回から投げるほうでも堂々の主役となる。5回戦から4日連続でマウンドを守りつづけてきたエース・喜多重厚の疲労が3回終了時点でピークに達すると、「あとはオレに任せろ」とばかりに三塁からマウンドへ。

 3回戦の茨木戦で5回1/3を投げて以来、2度目の登板は、先頭の5番・久保孝之(元ダイエー)にいきなり左越えソロを浴びたが、「かえってスッキリした」と開き直る。さらに2安打を許し、2死一、三塁のピンチも、1番・市原圭(元ダイエー-中日-近鉄)を中飛に打ち取り、最少失点で切り抜けた。

 その後はカーブが面白いように決まり、5回から8回まで毎回の5奪三振。3点リードの9回も、2安打とエラーで1点を許したが、後続を三ゴロ併殺と一ゴロに打ち取り、6対4で逃げ切り。大阪の府立高では、82年の春日丘以来の夏の甲子園出場を決めた。


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