01年夏に日大三の4番として3試合連続弾を放ち、同校の夏初制覇に貢献した原島正光も、プロを志しながら、果たせなかった一人だ。

 最速158キロの豪腕・寺原隼人(日南学園)が騒がれたこの年、日大三からも近藤一樹(現ヤクルト)、千葉英貴、内田和也、都築克幸の4人がドラフト指名されている。

 だが、走攻守三拍子揃った内田に対し、原島は「打」に特化したイメージが強かったのも事実。本人も「高卒プロは難しい」と考え、明大に進学した。

 大学では1年春から4番を任され、デビュー2戦目に3ランを放つなど、4年間で通算8本塁打を記録。05年のドラフトでプロからの指名を待ったが、朗報は届かなかった。

「(事前に連絡もなかったし)指名はないと思っていた。社会人で力をつけてプロを目指したい」と日立製作所でプレーを続けたが、ついに夢を叶えることなく、09年に現役を引退した。

 早稲田実の斎藤佑樹(現日本ハム)、駒大苫小牧の田中将大(現ヤンキース)の“ハンカチ世代”が熱闘を繰り広げた06年夏、“高校ナンバーワン捕手”として注目を集めたのが、鮫島哲新(鹿児島工)だ。

 準々決勝の福知山成美戦で決勝弾を放ち、初出場で4強入りした“鹿工旋風”の立役者は、阿部慎之助(現巨人2軍監督)に憧れて中大に進学。主将となった4年の春、打率3割9分4厘、1本塁打、7打点の活躍で、存在をアピールした。だが、“事実上の優勝決定戦”亜大戦を前に右手小指骨折で無念の戦線離脱。攻守の要を欠いたチームもVを逃した。

 結果的にこれが分岐点となり、ドラフトでは指名漏れ。巨人に1位指名されたチームメートの沢村拓一と明暗を分けた。住友金属鹿島時代の12年、捕手の補強を急務とする阪神がリストアップしているという一部報道もあったが、指名されることなく終わった。

 11年夏の優勝投手、日大三の右腕・吉永健太朗も、最速149キロの速球とシンカーを武器とする“世代ナンバーワン投手”だった。

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大学を経ての指名を目指したが…