明子さんは滋賀県生まれ。香川県高松市に育って同学年の小川議員とは高校で出会い、大学時代に東京と高松で遠距離恋愛を続けた。小川議員の最初の勤務地が沖縄になって、結婚を決めたそうだ。

――小川議員は子育てや家のことは明子さん任せでしたか?

 そうですね。官僚の頃も家のことどころか健康を保つのが精いっぱいで、「家事をしてくれ」とも「育児をして」とも言えなかった。

――2005年に小川議員が当選してからは、東京と香川で家族はバラバラに暮らすんですね。

 議員になってから平日は東京、週末は帰って来ますが、家でのんびりできるわけじゃないから、家のことは私がやってきました。ただ私としては、母になった以上は、政治家の妻だろうがなんだろうが、「母業が第一優先!」と決めていたから、それを最優先にさせてくれないならそれこそ私も死んでも死にきれないと言っていて、そこは当然だと分かってくれてました。

――家庭人としての小川議員をどうのように評価されていますか?

 「また、これ出しっぱなし」とか「ゴミ、ちゃんとしてよ」とか。それは同じですよ、みなさんと。

――文句を言いたいことはありますか?

 あれだけ真摯に必死に自分に向き合って生きるということは、裏を返すと自己中心的にもなりますよね。だから、こっちがそれに合わすことになるという、そういう文句かな。

――映画では娘さんも幼い頃から選挙運動を手伝っていますが、家の中ではこれまでどんな親子関係でしたか?

 尊敬はしていると思います。微妙な時期ももちろんありましたけど、いい関係を築いていると思います。

 映画を見れば分かる小川議員の真摯な姿勢。ひたすら国民の幸せを願い、なぜこの人が総理大臣になれないのか?深く考えさせられるが、一番身近にいる明子さんは政治家としての夫をどう見ているのだろうか。

――自宅で政治の話はしますか

 しますね。ふつうの人が聞いたらどう感じるか? というのを掴みたいと思うので、色々な自分の政策とか聞かされて、話をします。

――政治家としての小川議員をどのように評価されていますか?

 いわゆる”政治家”とは違うかもしれないけど、ああいう人がいてもいいんじゃないかと思います。たとえ離れたところにいたとしても、違った関係だったとしても、きっと応援していたと思います。

――それはすごい誉め言葉ですね。 

 尊敬はできますからね、彼のことを本当に。純粋に国のことを考えてるなって。国のこと、というと大きくなりますけど、「どう社会の仕組みを変えていけばいいか」「変えないと持続可能じゃないのか?」とか、そういうことをずっと考えています。それは子ども、孫たちの世代に引き継いでいくことの責任を感じてるからだと思うんですけど、そういうのすごいなぁと思っています。最初に「政治家にならんといかんと思うんや」と言ったときも、「挑戦すらせんかったら死んでも死に切れんや」と彼は言っていて。これは彼以外の人が、妻であれ、親であれ、誰であれ「やれ」とか「やるな」とか、口をはさめる次元じゃないなと感じたんですよ。そこで私は、この人はやるんだと感じて、この人と、自分はいっしょに生きていくのかと自分の選択になったんです。自分の選択だけど、子どもが2人いて、3人の選択みたいになったんですね。私も政治家のイメージにびびっていたけど、やってみる前からあきらめるのは止めようと。私の挑戦でもあったわけです。


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