巨人時代の上原浩治 (c)朝日新聞社
巨人時代の上原浩治 (c)朝日新聞社

 ここ数年、投手の投げる変化球は細分化の一途を辿っている。以前は横に変化するボールと言えばシュートとスライダーだったが、スライダーよりスピードがあって変化量の小さいカットボールが一般的となり、スライダーとカットボールの中間と言われる“スラッター”や、先日ダルビッシュ有(カブス)がTwitter上で披露したスプリーム(スプリットとツーシームの間と言われるボール)も話題となっている。

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 ボールの回転数や回転軸が明らかになったことも、このような変化球の多様化に拍車をかける一因とも言えるだろう。しかしその一方で操る球種は少なくても、一流の成績を残している投手も確かに存在している。今回はそんな球種の少ない名投手を紹介したい。

 往年の名投手で球種が少ない投手でまず思い浮かぶのが江川卓(元巨人)ではないだろうか。打者の手元で浮き上がるとも言われたストレートを武器に高校時代は数々の伝説を残し、法政大でも東京六大学歴代2位となる通算47勝を記録した。プロ入り後も9年間という短い現役生活だったが、2年目からは8年連続で二桁勝利をあげ、通算135勝をマークしたが、投げていた変化球は基本的にカーブだけ。

 プロ入り後は『コシヒカリ』や『マスクメロン』などユニークな名前の変化球を開発したと言って話題にはなったが、これは相手打者に新しいボールがあるぞと思わせる意味合いが強く、実戦ではほとんどストレートとカーブで勝負していたと言われている。また同じストレートでも相手打者の力量や狙いによってボールの勢いやゾーンを投げ分けていたとも証言している。圧倒的な才能を持った“怪物”だからこそなせた業と言えるだろう。

 90年代以降の球種の少ない名投手と言えば、やはり野茂英雄(元近鉄など)になるだろう。メジャーに移籍した後の現役晩年はあらゆる変化球を駆使するようになったが、日本でプレーしていた時代は基本的にストレートとフォークだけで勝負していた。また江川が相手を見ながらいわゆる“手抜き”のようなボールを投げていたのとは対照的で、近鉄時代の野茂はどんな場面でも常に全力投球というイメージが強い。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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