その他の球団では、広島の嶋重宣が計66試合で4番に座ったが、「赤ゴジラ」としてブレイクした2004年は2番もしくは3番を務め、4番は1試合のみ。翌2005年に29試合で4番、2006年には開幕から13試合連続で4番も務めたが、ラロッカや新井貴浩の陰に隠れる形となった。

 さらにロッテでは里崎智也が2006年の夏場以降を中心に4番として計92試合に出場、日本ハムでは先月7日に急逝したエチェバリアが2003年、2004年と開幕4番から計121試合、楽天では枡田慎太郎が2012年の19試合を皮切りに計40試合で4番に座った時期もあったが、それぞれ今となっては随分と記憶が薄れたものになっている。

 日米で活躍した松井稼頭央も、西武時代の2000年に15試合、2002年に1試合の計16試合、そして日本球界復帰後の楽天でも4番に座ったことがあったが、やはり彼のイメージも1番か3番。4番打者としての印象は乏しい。また、イチローがオリックス在籍最終年の2000年に開幕から一貫して4番を務めたが、イチローといえばリードオフマンである「1番」が代名詞。3番を打つことも多かったが、4番はあまり似合わない。

 これらのことを考えると、やはり4番打者というのは特別な存在なのだろう。いつの時代も打線の中心は4番であり、誰もが務められる役割でないと同時に、「似合う」「似合わない」がある。新型コロナウイルスの脅威にさらされ、その影響を強く受けている2020年のプロ野球界だが、各球団の選ばれし4番打者たちが、ファンの不安、ストレスを吹き飛ばすような“記憶に残る”活躍を披露してもらいたい。