鳥谷敬も阪神で4番を務めた (c)朝日新聞社
鳥谷敬も阪神で4番を務めた (c)朝日新聞社

 山川穂高中田翔、井上晴哉、鈴木誠也、大山悠輔岡本和真……。彼らに共通しているものは何か。そう、4番打者であることだ。助っ人外国人がその座に就くことも多いが、近年は日本人打者が復権を果たし、「不動の4番」として記憶に残る働きを見せてチームを勝利に導いている。

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 だが、その一方で、過去にはその座を任されながらも、「え? そんなに打ってた?」とたいして“記憶に残らない”4番打者も多くいる。

 長い歴史の中で計89人、そのうち川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳の4人が4番打者として1000試合以上に出場している巨人では、第75代の長野久義が出場試合数の割に印象が薄い。プロ2年目だった2011年の7月、当時の4番ラミレスの代役で初めて4番に座り、2016年には交流戦の時期から2カ月弱も4番を務めたが、高橋由伸監督の心変わりもあって定着せず。巨人での4番としての出場数73試合は、広沢克実(56試合)を上回り、ペタジーニ(76試合)に匹敵する数だが、そのイメージはない。

 また、2015年は「日替わり4番」の時期があり、中井大介が1試合だけ4番に座ったことを覚えているファンは多いが、亀井善行が計17試合も4番に座ったことに驚くファンも多いだろう。

 過去、藤村富美男、田淵幸一、掛布雅之、金本知憲といった4番打者がいた阪神では、マートンが2013年を中心に計120試合も主砲として4番に座った。数字的には、アリアス(82試合)や濱中治(67試合)を上回るが、やはり来日1年目に214安打を放った1番打者のインパクトが強く、首位打者に輝いた2014年もゴメスの後の5番打者だったことから、4番としての記憶は薄い。

 同じ理由で、3番打者のイメージが強い鳥谷敬が2013年の8月末から9月にかけての計26試合、和田豊監督の「最後の切り札」として4番に起用されたことを忘れていたファンも少なくないだろう。

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1番バッターのイメージが強いあの選手たちも