■中日:ウッズ

 1997年(平成9年)から2002年(平成14年)まで、6シーズン任されたゴメスが平成の時代に最も長く4番に座った打者だが、最もインパクトに残るのはウッズだ。チームが“黄金時代”を迎える落合博満監督時代の2005年(平成17年)に横浜からの移籍で加入すると、在籍した4年間すべての年で4番に座り、35本塁打以上をマーク。2006年には中日の球団記録となる47本塁打、144打点で二冠王に輝き、リーグ優勝に貢献した。リーグ制覇を決めた10月10日の巨人戦では延長12回に決勝満塁弾を放ち、試合中は常にポーカーフェイスを崩さない落合監督を涙させたのは、“ドラ党”には忘れられないシーンの一つだろう。

 ウッズが活躍した時代の監督だった落合氏も、昭和の時代からチームの4番を任され、平成の時代に入ってからも5シーズンにわたって務めた大打者の一人だ。ある一定の世代の人間は、中日の4番というと落合氏を思い浮かべる人も多いだろうが、チームの黄金時代の真っただ中で、安定した活躍を続けたウッズを選出した。

■広島:江藤智

 昭和の時代にカープの4番を長らく務めた山本浩二監督時代の1993年(平成5年)から巨人に移籍する前の1999年(平成11年)まで広島の4番を打った江藤智。当時の広島は金本知憲、前田智徳ら強打者ぞろいだったが、その中でもこれぞ大砲という佇まいから、ホームランを量産する姿は今も印象深い。1993年に34本のアーチを描き、初めて本塁打王に輝くと、1995年(平成7年)には39本塁打、106打点を記録し二冠王を獲得。その年には14盗塁を記録するなど、長距離だけではないところも見せた。

 比較的助っ人に4番を任せる球団が多い中、広島は江藤の去った後、金本、新井貴浩、 栗原健太、ここ数年は鈴木誠也が座るなど、自前の選手で4番を賄ってきた歴史のある球団だ。甲乙つけがたい好打者が多いが、勝てずに苦しんだ時代もチームをけん引し続けた江藤の功績を評価したい。

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優良助っ人ばかりのヤクルトの最強4番は