教育困難校」とは、序列の下位に位置し、進路多様校などと称される高校のことだ。一般的には、学力が低い生徒たちが集まっていると考えられているが、こうした学校の背景には貧困、家庭環境、教育行政などが複雑に絡み、偏差値だけでは語れない。朝日新書『ルポ 教育困難校』では、元教師の教育ジャーナリスト・朝比奈なを氏が、生徒の家庭が抱える社会的な接点の乏しさを指摘。同書より内容を一部紹介する。

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■生徒は親に手を掛けてもらっていない
 収入を得るために長時間働く生活では、家族が一緒に過ごす時間が犠牲となる。従って毎日の生活でもほとんど家族が顔を合わせることなく、休日に旅行や日帰りで遊園地やテーマパークに行く体験もしたことがない。

 人はさまざまな体験を通して自身の適性や能力を発見し、失敗・成功の体験を積むことが可能になる。教育熱心で経済力もある家庭では、幼い頃から意図的に色々な体験の機会を子に与えている。そこから、興味・関心が拡がり、高校生になるまでに自分の適性や将来の夢も漠然とではあっても考えることができる。

 一方、体験に乏しい子どもは、ごく狭い興味・関心のままで高校生になる。これが、その後の進路決定や将来の生活に大きな負の影響を及ぼすことを見逃してはならない。

■親の愛情を確信できないからこそ、親孝行になる矛盾
 親が大きな不安や不満を抱えている家庭では、子が、親の感情のはけ口になっている場合がある。一見普通の親子関係に見えても、幼い頃から身体的・心理的虐待やネグレクトを受けてきた生徒が「教育困難校」には少なくない。

 しかし、「教育困難校」の生徒たちは、どのタイプの生徒でも驚くほど親や家族思いである。仕事が忙しい親に代わって高齢の祖父母や幼い弟妹の世話をする、あるいは病気の家族の世話や介護を一手に引き受けている、いわゆる「ヤングケアラー」の生徒も少なくない。家庭に毎月少なからぬ額の生活費を入れるために必死になってアルバイトをする、家庭に入れる金額を増やしたいとJKビジネスの世界にはまりこむ、弟の学費も稼ごうとバイトを増やし過ぎ出席不足で高校を中退せざるを得なくなる、義父に性的虐待を受けながら母を悲しませたくないと泣き寝入りしている、こんな生徒たちに、筆者は「教育困難校」勤務の5年間で出会っている。

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