平成の女子テニスをけん引した伊達公子 (c)朝日新聞社
平成の女子テニスをけん引した伊達公子 (c)朝日新聞社

 まもなく平成の時代が終わり、令和の時代へと移り変わろうとしている。

 平成はバブル崩壊、消費税増税、企業のグローバル化など、日本の経済を取り巻く環境が変わり、社会が大きく変容した。また、阪神・淡路大震災、東日本大震災などの大規模な災害も起こり、暗いニュースも決して少なくなかった時代でもあった。

 そんな中、社会に明るい話題を提供してくれるアスリートたちが常にいた。災害時にはスポーツイベントなどが中止となり、「スポーツは無力」であるのと声も出るが、そんなことはない。国民に生きる力と勇気を与えるアスリートの力は絶大である。

 そこで、今回は平成の時代に国民を熱くさせた日本人女性アスリートを振り返ってみたいと思う。

■浅田真央(フィギュア)

 ジュニア時代から大きな注目を集め、羽生結弦と並びフィギュアスケートを人気スポーツの地位まで引き上げた功労者。シニアデビューを果たした2005年(平成17年)のグランプリファイナルのフリーでは、弱冠15歳ながら高難度のトリプルアクセルを成功させ、当時の世界女王イリーナ・スルツカヤ(ロシア)を下し、鮮烈な印象を残した。あどけない表情の浅田が、ピョンピョンと楽しそうにリンクで舞う姿は、まさに“氷上の天使”という言葉がぴったりだった。

 2006年(平成18年)のトリノ五輪には年齢制限のため出場はならなかったが、満を持して2010年(平成22年)のバンクーバー五輪に出場。そこでは韓国のキム・ヨナに敗れ、悔しい銀メダルとなった。そして、リベンジを果たすべく迎えた4年後のソチ五輪。日本中から「今度こそは」と期待が高まったが、ショートプログラムで全てのジャンプに失敗し、まさかの16位スタートとなった。ほぼ金メダルが絶望となる中でのフリーだったが、浅田はここで真価を発揮する。キャリア「最高の演技」と称されるパフォーマンスで、フリー自己最高となる得点をマーク。演技が終わった瞬間に涙を流す浅田の姿は、日本中の感動を呼ぶとともに、メダル獲得だけではないオリンピックの魅力も再認識させてくれた。

次のページ
世界で戦う“なでしこ”たち