■伊達公子(テニス)

 大坂なおみが昨年の全米、今年の全豪を制して世界ランキングの頂点まで上り詰めたが、平成の時代を象徴する女子テニスプレイヤーは間違いなく伊達公子だった。「ライジング・ショット」の名手として、アジア人女性としては初めてシングルスでトップテン入りを果たすと、1995年(平成7年)の11月には自身の最高位となる4位まで世界ランクを上げた。グランドスラムでも全豪、全仏、全英でベスト4、全米でベスト8の最高成績を残すなど、日本人、そしてアジアの女性が世界で戦えることを示した。

 特に語り草となっているのは、当時の世界女王シュテフィ・グラフとの激戦(日本対ドイツのフェドカップ一回戦・有明コロシアム)。これまでグラフ相手に一度も勝利を収められずにいた伊達は、左ひざの負傷の影響がある中での戦いだったが、一歩も譲らない試合を展開。手に汗握る一進一退の攻防は最終第3セットまでもつれ込み、そこでも互いに点を取り合う激しい試合となった。最終的に伊達がセットを12-10で制し、グラフから生涯唯一となる勝利を掴んだ。3時間25分にも及んだ“終わりの見えないゲーム”でも常に勇敢に戦う姿は多くの日本人の胸を熱くした。

■田村亮子(柔道)

 若い頃からその才能が注目を集め、「ヤワラちゃん」の愛称で国民的人気を誇った。世界柔道選手権を幾度となく制覇するなど無類の強さを発揮しながらも、オリンピックではあと一歩のところで金メダルに届かない様子は、時にもどかしくもあった。その分、五輪で頂点に立った瞬間はひと際、喜びも大きかったのではないだろうか。1992年(平成4年)のバルセロナ、1996年(平成8年)のアトランタでともに銀メダルに終わった田村の歓喜の瞬間は、2000年(平成12年)のシドニーで訪れる。「最高でも金、最低でも金が目標」という覚悟で臨んだ田村は、苦しい戦いを強いられながらも決勝に進出。決勝では、開始わずか38秒で、それまでのうっ憤を晴らすかのような一本勝ちを収め、涙の金メダルを掴み取った。

 2003年12月には、当時プロ野球オリックスでプレーをしていた谷佳知と結婚。「田村」から「谷」に姓を変えてアテネ五輪に臨んだ。「田村でも金、谷でも金」と決意を新たにしたが、大会前には左足首のケガの影響が周囲から心配されていた。しかし、蓋を開けてみるとオール一本勝ちで決勝まで駒を進め、その決勝でも相手を寄せ付けずに快勝。女子競技としては当時日本人初となる連覇を果たした。さらに、夫も野球の日本代表として銅メダルを獲得し、夫婦そろってのメダルは大きな話題をさらった。