■巨人


ダン・ミセリ

 守護神不在に悩んでいた堀内巨人に加わった男が、ミセリだった。メジャー通算579試合登板の実績を引っ提げて2005年に来日し、「50セーブを狙いたい」と豪語。周囲からの期待もいや応なく高まった。だが、開幕戦で1点リードの9回表に登板して同点ソロと勝ち越し2ランを被弾していきなりの炎上。その後も名誉挽回のチャンスが与えられたものの、セットポジションでの投球に苦しみ、ことごとく痛打を浴びて救援失敗を続けた。問題はマウンドを降りてからも続き、2軍での再調整指令を拒否すると、今度は球場が狭いと見当違いのクレーム。さらには、敗戦処理のマウンドに不満をあらわにした挙句に右肩痛を訴えると、首脳陣から再度の2軍再調整を拒んだ末、開幕から1カ月も経たない4月19日に球団史上最速での解雇となった。残した成績は、登板4試合0勝2敗、防御率23.63という散々たるものだった。解雇当日に浅草観光に繰り出したことも“ダメっぷり”に拍車をかけた。

■DeNA
スティーブ・コックス

 横浜大洋、横浜、横浜DeNAと球団名を変えながら平成時代を戦ったベイスターズ。その中で費用対効果が最も悪かった助っ人が、コックスだった。来日したのは2003年。山下大輔監督が熱望した4番候補としてチームに加わったが、春季キャンプで右膝半月板を損傷して大幅に調整が遅れ、ようやく5月中旬に1軍昇格。しかし、調子が上がらないまま、今度はふくらはぎを痛めて再離脱となってしまった。結局、出場15試合で打率.200、1本塁打、7打点。シーズン終了後に解雇となった。問題は、その推定3億円という年俸の高さ。しかも3年契約を結んでいたために、2年目の年俸と3年目のオプション破棄の違約金、さらに獲得時に支払ったトレードマネーを含めて推定総額7億円の損失となった。同時入団したウッズが推定年俸5000万円で本塁打王に輝いたことも、コックスの“ハズレっぷり”をより一層、際立たせた。

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“迷言”で周囲を困惑させた阪神助っ人