■中日


ディンゴ

 本名デビット・ニルソン、登録名ディンゴ。捕手として1999年に野茂英雄とバッテリーを組み、オールスター出場も果たしたバリバリの大リーガーは、2000年に中日に入団した。本場仕込みのパワーでアーチ量産、となるはずだったが、開幕から極度の打撃不振に陥ってバットは空を切るばかり。日本の投手に対応できず、さらにレフトの守備でも足を引っ張り、本領を発揮することがないまま、出場18試合で打率.181、1本塁打、8打点という期待値を大きく下回る成績で退団となった。入団の条件が、同年のシドニーオリンピック出場というもので、実際に日本戦で本塁打を放つ活躍を見せたが、中日が支払った推定年俸2億円は完全な無駄金。2004年のアテネ五輪でもオーストラリア代表の一員として日本戦でアーチを放った点も、憎らしさを増幅させるものになった。

阪神
マイク・グリーンウェル

 その“迷言”で、今でも多くのファンの記憶に残っている男が、1997年に来日したグリーンウェルである。レッドソックスの主力として活躍してオールスターにも2度出場し、メジャー通算12年で通算打率.303という文句なしの実績を引っ提げ、推定3億円を超える球団史上最高年俸で阪神に入団した。だが、春季キャンプに背中の痛みを理由にして一時帰国。ようやく5月3日に日本デビューを果たし、いきなり決勝打を含む2安打2打点の活躍を見せたが、それから7日後の巨人戦で自打球を右足甲に当てて骨折すると、「神のお告げ」と突如、悟りを開いて現役引退を宣言。5月16日に空路で帰らぬ選手となった。当時の吉田義男監督の言葉を借りると、「嵐のように来て嵐のように去っていった、つむじ風のような男」。通算7試合出場で打率.231、0本塁打、5打点。阪神の暗黒期を象徴するような“ダメ助っ人”だった。