元巨人のミセリ (c)朝日新聞社
元巨人のミセリ (c)朝日新聞社

 平成が終わる。新たな時代を迎える前に、今一度「平成30年」の日本プロ野球を振り返ると、そこには数々の優良助っ人たちがいた一方、様々な理由で期待外れに終わった男たちがいた。1989年(平成元年)以降に在籍した“平成ダメ助っ人”を球団別に選出したい。

■広島
クリストファー・カンバーランド

 カープアカデミーを含めて優良助っ人の多い印象の広島だが、カンバーランドは明らかな失敗だった。2000年に左の先発候補として入団し、開幕第3戦の先発マウンドを任されたことからも期待の高さを伺わせたが、その試合で巨人打線を相手に1アウトを取っただけで打者5人に3失点の即KOデビュー。その後は2軍で調整を続けたが、ファームでも1試合4ボークのワーストタイ記録を作るなど日本の野球に全く合わず。開幕からわずか1カ月の5月7日に解雇された。1軍成績は登板1試合で0勝1敗、防御率81.00。当時の達川光男監督の「カンバーランドががんばーらんと困る!」という駄洒落のネタにはなったが、戦力には全くならなかった。

ヤクルト
ホアン・アイケルバーガー

 昭和の時代にはペピトーンという悪行三昧の“ダメ助っ人”がいたヤクルト。平成以降は数多くの優良助っ人に恵まれたが、平成元年となる1989年に来日したアイケルバーガーは期待を大きく裏切った。1981年、82年とメジャーで計15勝を挙げた実績を持ち、春季キャンプでテストを受けて入団。ストッパーとして期待されたが、初登板となった開幕第2戦の巨人戦で、3対3の同点で迎えた9回裏から無死満塁のピンチを招いた末にサヨナラ暴投。その後も制球難にあえぎ、登板8試合で0勝3敗、防御率7.04という成績のまま5月20日に解雇となった。当時の関根潤三監督は「名前が面白くて獲ったんだよね」と発言。長い名前のために川崎球場でのオープン戦では掲示板に「バーガー」と掲示され、ロッテファンに大爆笑されたエピソードも持つ。

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巨人はやっぱり“あの男”