ストッパーという役割は、日々の結果がチームの勝敗に直結する。昨季までのプロ4年間で、233試合に登板。タフな中継ぎ右腕として重宝されてきた森ですら、最後を締めるというその重圧に最初は苦しんだ。6月27日の日本ハム戦、沖縄・那覇で行われたその一戦は、8回まで2-0とソフトバンクがリード。セーブシチュエーションで登場した森だったが、9回に3安打3四死球の大乱調で3失点。サヨナラ負けを食らった。

「なんで、こんなにはじき返されるんだろう?」

 自問自答の日々。迷いは、マウンド上でも出てしまう。那覇以後の3試合、復調のための機会とはいえ、負けゲームで2試合に登板。それでも、計3イニングで2失点。調子が出ず、自信も持てず、精彩を欠いたままオールスターに出場。変わるきっかけは、その“夢の舞台”だった。

 結果が問われないマウンド。森はいつものスタイルではなく、“思い切って”力を抜いてみたという。

「リリースの瞬間、力を入れる。そこでバッターの反応を見る。そうすると、打者も見えるようになってきたんです」

 帽子を振り乱し、目いっぱい投げ込む。そのスタイルから、まさに180度転換。完全に、逆転の発想だった。

「それで打ち取ることができて、自信になったのかな。『うまくいきました』って。彼にとっては、オールスターがきっかけになったのかな。『全力じゃないのに、差し込めるんですね』と。それをすごく実感したのがあったと思う」と工藤監督。球宴での森は2イニング、打者7人で被安打1の無失点。目立たない、平凡な記録に、その“変身のきっかけ”を見抜くのは難しい。しかし、球宴を挟んで、森は明らかに変わった。

 球宴前までの森は、34試合に登板、0勝3敗17セーブ、防御率4・35。これが球宴後の32試合では、2勝1敗20セーブと激変。防御率も1・19まで下がった。9月18日の千葉ロッテ戦(ZOZOマリン)から同25日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、プロ野球記録となるチーム7試合で7連続セーブを達成。初のセーブ王にも輝いた。

 球宴で、何をつかんだのか--。

「こういうスタイルでいけばいいんだなと思ったんです」

 常に全力でいくのが“是”ではない。静から動、そして緩から急。ボールを放すその一瞬に、びゅっと力を込める。その方が、最後の最後まで、余すところなく、指先からボールに力を押し込むことができる。リラックスした右腕がしなるから、ボールも伸びる。それは、ただ言われて、教えられたからできることではない。痛い思いを重ね、試行錯誤し、創意工夫して、自分の感覚としてつかんでいくものなのだ。

「よくて、よくて、ダメで、またよくて……。そういう中で気づいていくんです。オールスターで、自分で分かったんでしょうね。だから、変わったのは“内心”の方ですよ」と評したのは、ブルペン担当の高村祐投手コーチだった。

 その自信が、マウンドで表れる。

 勝てば日本一の第6戦。2点リードの9回に、敵地・広島でのマウンドに上がった。2番の菊池涼介、3番・丸佳浩、4番・鈴木誠也とつながっていく上位打線。どこから、何が起こってもおかしくない。そんな中で、森は菊池を三ゴロ、丸を空振り三振、そして9球粘られた鈴木も三ゴロに仕留めての三者凡退。その瞬間、両手を天に突き上げ、駆け寄ってきた捕手の高谷裕亮に飛びついた。

 日本シリーズ6試合中、5試合に登板して3セーブ、2ホールド。圧倒的な成績で、優秀選手賞も獲得した。

「選んでもらえて、本当にうれしいです」

 マウンドで呆然と立ち尽くした“那覇の悪夢”から4カ月。森はナインの手で三度、広島の夜空に舞った。それは「お前がいたから日本一になれたんだ」という、感謝の思いでもある。しかし来季は、師匠のサファテも、岩崎も復帰してくるだろう。

「もう、来年の戦いは始まっています。来年も、いいところで投げられるように頑張ります」

 代役ストッパーから、真の守護神へ──。2位からの下克上。ソフトバンクのその軌跡は、森唯斗の成長ぶりと、重なっているかのようにも見える。つかんだ自信は、もう放さない。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。

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