野村克也、“喧嘩上等”だった現役時代 本塁突入の相手に… (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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野村克也、“喧嘩上等”だった現役時代 本塁突入の相手に…

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久保田龍雄dot.
南海時代の野村克也 (c)朝日新聞社

南海時代の野村克也 (c)朝日新聞社

 それから4年後、1973年7月29日の阪急戦(大阪)で再び“怒れるノムさん”の姿が見られた。

 6回までゼロ行進の阪急は7回、代打・当銀秀崇の右前タイムリーでようやく1対1の同点に追いつき、なおも1死一、三塁、1番・福本豊の二ゴロで三塁走者・平林二郎が本塁を突いた。

 スライディングした平林が捕手・野村の右手を蹴った際に、スパイクが右手親指に突き刺さった。判定はアウトだったが、怒った野村は、うつぶせになっている平林の腹のあたりを足蹴にした。

「(親指に)ゴボっと穴が開けば、カッともなるよ。退場?考えなかったね」

 これを見て激高した阪急・西本幸雄監督がベンチを飛び出し、野村につかみかかったのを合図に、本塁上で両軍ナインが押し合いへし合い。試合は17分間中断した。

 西本監督は「あれが暴力でなければ、暴力行為などなきに等しい」と野村の退場を要求したが、審判団は「故意に蹴ったのを見たと思う」(野村)にもかかわらず、暴力行為とは認めなかった。ツイていたとしか言いようがない。

 しかし、ツキがあったのはここまで。試合再開後、8回に森本潔の決勝2ランを許し1対3と無念の逆転負け。「オレ一人で負けた」とボヤく羽目に。

 引き続き行われたダブルヘッダー第2試合も、2点リードを9回に追いつかれ、7対7の引き分け。同年から導入された2リーグ制で前期優勝をはたした南海は、後期はこの2試合も含めて阪急に0勝12敗1分と完膚なきまでに叩かれたため、「死んだフリ」などと言われたが、指揮官がこれだけ熱くなっているのだから、ガチで勝ちにいっていたことがわかる。

 そんなノムさんにも、ついに野球人生初の退場宣告を受ける日がやってきた。

 阪神監督時代の1999年8月7日のヤクルト戦(神宮)。両チーム無得点で迎えた3回、阪神は無死一、二塁、湯舟敏郎が三塁前に送りバントした。

 打球を処理したサード・池山隆寛の一塁送球がそれ、ファースト・ペタジーニがかろうじてキャッチしたが、捕球より一瞬早く足がベースを離れたように見えた。

 ところが、小林毅二一塁塁審の判定は「アウト!」。平田勝男一塁ベースコーチが怒りをあらわにして、「離れてるじゃないか!」と詰め寄った。



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