南海時代の野村克也 (c)朝日新聞社
南海時代の野村克也 (c)朝日新聞社

 2018年シーズンも終盤戦に差し掛かり、ペナントの行方が気になる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「怒れる野村克也編」だ。

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 野村克也とラフプレー。一見ご縁がなさそうだが、意外なことに、現役時代は一度ならず“怒りの番外プレー”を披露している。

 1969年7月12日の近鉄戦(日生)。南海は0対2の3回に野村の14号2ランで同点とし、再び1点をリードされた5回にも広瀬叔功の右前タイムリーで追いつく粘りを見せる。

 だが、その裏、近鉄は2死二塁と再び勝ち越しのチャンスをつくり、3番・永渕洋三が二塁内野安打。捕球の際にブレイザーの体勢が崩れたのを見た二塁走者・岩木康郎は一気に本塁を突いた。

 タイミング的にはアウトだったが、1977年に“登録外選手の退場処分”という珍事の主役にもなったファイター・岩木は、捕手・野村に体当たりしてきた。「オレを潰そうとしている」と直感した野村は、「反対に潰してやる」といきり立ち、タッチの際にひじ打ちを食らわせた。直後、本塁上で両軍ナインが入り乱れる騒ぎとなったが、その代償も大きかった。

 試合は南海が9対3で勝ったものの、問題のプレーで左肩を脱臼した野村は、8月まで13試合も欠場する羽目になり、12年連続出場していたオールスターや連続試合出場、シーズン30本塁打、シーズン100安打など「連続」と名のつく記録すべてが途切れてしまったのだ。

「冷静に体当たりをかわしてタッチしていれば……」。まさに「後悔先に立たず」を地でいったような結果になった。

 だが、同年、チームは2リーグ制以降初の最下位に沈み、飯田徳治監督がわずか1シーズンで引責辞任。その後任人事でプレーイングマネジャーとして再建を託され、後の“名将野村”が誕生するのだから、人間どこでどうなるか本当にわからない。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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“怒れるノムさん”再び