――若いころから俳優を目指していたんですね。



 もともとは国語科の教員志望で大学は文学部だったんですが、大学時代に勧誘されるまま落語研究会に入ったんです。落語のことはまったく知らなかったんですが、初めて人前でしゃべるとそれが意外と面白かった。落研の仲間に成城学園に住んでいる友だちがいて、「ここが加山雄三さんの家だよ」「ここは三船敏郎さんの家だよ」って教えてくれるんですよ。こんな豪邸に住んでいる人がいるんだ、さすが銀幕のスターだな、テレビに出ている人はすごいなーって。全然関係ない世界だなっていうちょっとした寂しさと人前に出る楽しさが重なって、自分も何とか這い上がっていけば、ちょっとでも近づけるかなと思っちゃったんですよね。10代の甘い考えで、アハハハ(笑)。60歳になった今でも賃貸なんですけどね(笑)。

 勉強しなかったせいなんだけど、4年生の夏に教員採用試験に落っこちちゃって、卒業までやることが無くなちゃったから夜にやっている研究所があると聞いて、青年座に行き始めました。

 そしたらハマっちゃったんですよね。面白い!って。大学卒業すると同時に、文学座研究所を受けて、「落ちたら役者の世界に進むのはやめよう」と思っていたのに、受かっちゃった。「何のためにお金をつぎ込んできたのか!」とおふくろも泣いていました。地元で教師になって確実な生活をすると思っていたでしょうからね。

――研究所ではどんな役を?

 役というより、基礎ですよね。台本をもらってしゃべったり、マイムや寸劇をやったり。そのときに出されたお題を自分でどう考えて演じるか。学芸会みたいなものでしたけど、それが楽しいんですよ! 研究所を出た後に、自分たちで劇団を立ち上げて、お金がないから自分たちで脚本を書いて、構成して、演じるわけです。稚拙ながらもものを作り込むのは慣れていたので、「たんけんぼくのまち」のチョーさん役のオーディションでも設定を与えられたら、それに対して勝手に自分で世界を作って動くことができたんですね。
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仕事を通して伝えたいこと「実は無い」の真意