山崎直子(やまざき・なおこ)/東京大学大学院航空宇宙工学専攻修士課程修了後、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)に入社。入社3年後、2度目の受験で宇宙飛行士試験に合格。2006年にアメリカ航空宇宙局(NASA)の搭乗運用技術者に認定、10年にはスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した。向井千秋に次ぐ2人目の日本人女性宇宙飛行士(撮影/関口達朗)
山崎直子(やまざき・なおこ)/東京大学大学院航空宇宙工学専攻修士課程修了後、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)に入社。入社3年後、2度目の受験で宇宙飛行士試験に合格。2006年にアメリカ航空宇宙局(NASA)の搭乗運用技術者に認定、10年にはスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した。向井千秋に次ぐ2人目の日本人女性宇宙飛行士(撮影/関口達朗)

 山崎直子さんがスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗したのは訓練を受け始めてから11年もあとのこと。不定期でいつ行われるか分からない宇宙飛行士の募集を待ち、訓練を始めた後に出産もした。見えないゴールを手繰り寄せる、開拓者の視点と構えとは。『イノベーションファームって、なんだ?!』(朝日新聞出版)に掲載された、山崎さんのインタビューを特別に公開する。

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「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を観ていた子どもの頃から、「いつか宇宙へ行ってみたい」と思っていました。当初は漠然とした憧れでしたが、勉強を深めるうちに目標に変わりました。

 ただ、道のりは先が見えないことだらけでした。

 まず、宇宙飛行士の募集は不定期で、いつチャンスが巡ってくるか分かりません。最初は、大学院でアメリカ留学中に募集があり、応募しましたが書類選考で不合格。帰国後に宇宙航空研究開発機構(JAXA)に入り、エンジニアとして国際宇宙ステーションの開発業務に携わりながら、3年後、2度目の試験で合格しました。

 また合格しても、宇宙行きが確約されているわけではありません。基礎訓練を修了し、認定されるまでは「候補者」。訓練中はアメリカやロシアの施設を転々とするので生活も安定しませんし、訓練に慣れてきた頃にコロンビア号の事故もありました。不安要素は挙げればキリがありません。

 先が見えないなかで、思い返すのはアメリカ留学中に出会ったおばあちゃまのこと。当時70代でしたが、自分でヘリコプターを操縦していました。年齢を気にせず、好きなことをする彼女を見ているうち「人生は長い」と感じたのです。近視眼的になるのではなく、人生を長い目で捉えるようになりました。

 一方で、不安に打ち勝つには「今に集中する」ことも大切です。訓練には体力をつけるためのハードなものもある。ロシア語も学ばないといけない。この苦境を乗り越えられたのは「未来の心配をするより、今できることをやる」という姿勢のおかげでした。ひたすら、目の前の訓練に打ち込みました。

――人生を長い目で捉えながら、今、目の前のことに集中する。その姿勢が、いつ叶うかも分からない夢を手繰り寄せた。訓練を始めて以降は、より良いチームを作り、チームで成果を出すことにこだわった。

 新しいことを生み出す、困難を乗り越える。いわゆるイノベーションには「多様性」が必要と言われます。宇宙飛行士のチームも同じでした。何が起こるか分からない宇宙では、トラブルに強いチームが必要。そのためには「幅」があったほうがいいという考えです。

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