「新聞記者の仕事は、どこかに行って人から話を聞いたり、ものを見たりして、文章を書くことです」

 たとえば自分はかつて北朝鮮と国境を接した中国の都市を訪れた。また「行く」ことはもうできない。でも――と、本題に入った。

病気のおかげで、新しく見えたことがある」

 たとえば4月の緊急入院では国と国ではなく、生と死の境目を見た。

「これまで見てきたものでも、新しい見え方ができるようになった」

 お医者さんが治療法や検査法について患者さんに説明するインフォームド・コンセントの考え方を政党も選挙戦に採り入れてはと思いつき、コラムを書いた。

「人に会いに行けず、出張できなくても『書こう』と思えば、現場はやってくる。現場はすでにそこにある」

 たとえ行かなくても、だ。思わず言葉に力が入った。

「がんの『せいで』できなくなったこともたくさんある。がんの『おかげで』できるようになったこと、書けた文章もたくさんある」

 そもそもなぜ私はこの舞台に立っているのか。

 誰かに勧められたわけではないのに、インフォームド・コンセントのコラムを書いたのが2年前。これが復帰1本目となり、書き続けていたら、連載することになった。昨年11月には村本さんのAbema TVの番組によばれた。そして6月上旬。村本さんからメッセージが届く。

「スタンダップ・コメディーをやりませんか」

 病気との付き合いはもう2年半。こう思うようになった、と客席に語りかけた。会社の知り合いの姿も見える。

「私に目をつけたバカな病気に思い知らせてやろう。『苦しめるつもりだったのに、いい人生を送らせてしまったじゃないか』と人間ならば後悔するぐらい、使い倒してやろう」

「おかげで」と言いながら「思い知らせてやる」というのだから、考えてみればひどい話だが。

 スタンダップ・コメディーとは何か、実はいまだにわからない。だが話し相手が気まずくならないよう、病気のことを冗談交じりに話すことならば、お見舞いで慣れている。

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