客席からたびたび笑い声が上がった。用意してきたスケッチブックも、思わぬ助っ人になった。
この日、舞台に上がった時点では、しんみりと話に入るつもりだった。膵臓がんの生存率は低く、日々、下がってゆく。そんなグラフを描いておいた。自分も1日1日、死に近づいているのだ、と。
ところがスケッチブックの表紙をめくるや、微妙な空気が客席に流れた。「ま、口で説明すればいいんですけど」と探りを入れると、わっと客席がわいた。やっぱり、できばえがシンプルすぎるのだ。
ならばと、残る2、3枚目は初めから笑いのネタにした。客席の大笑いが気持ちよかった。「画伯!」と大きなツッコミが聞こえた。客席の一番後ろに陣取った村本さんだった。
実はこの日、サプライズでやりたいことがひとつあった。いつも面倒を見てもらっている配偶者に、感謝の気持ちを伝えることだ。
「がんのおかげ」という話にひっかけて「おかげで配偶者が自分を大切にしてくれることがわかった」と切り出し、後ろのほうの席にいた彼女にその場で立ち上がってもらった。お客さんに頼んで拍手をしていただく。ここまでは予定通りだった。
だが、ここで村本さんが動いた。
気づいたら彼女は舞台の私の隣で、私のことを矢継ぎ早に質問されていた。
「がんになってどういう気持ちですか」「いいところと悪いところは」
「いいところは安定しているところですかね」。気恥ずかしさで顔を背けていたため、内容はほとんど覚えていないが、マイクを通した声が背中のほうから聞こえてきた。助け舟に入ろうと思った記憶がないということは、よほどすらすらと無難に答えていたのだろう。まったくたくましい。
予定を2時間ほど過ぎて全員の出番が終わった。
建物の外で立ち話をしていると、こちらをうかがっている2人組の青年がいた。目が合うと、やってきて握手を求められた。
「よかったです」「よかったです」
へえ、「よかった」んだ。
その言葉の響きがなんとも新鮮だった。
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