笑いは「がん患者」という一面に限らず、私という人間を丸ごと肯定してくれる気がした。客席の笑い声に温かさを感じたのもそのせいだろう。

 スケッチブックのフリップに「3枚のお札」の昔話を思い出した。

 山に入った小僧が鬼婆に食べられそうになり、和尚さんから渡されていたお札を次々に使って危機を乗り切る。そんな話だ。

「3枚のフリップ」の使い道を切り替えたのは、とっさのアドリブだ。どうすればいい舞台になるか。お客さんの反応をみてひねり出しに過ぎない。

 がんになってからの日々もこれに似ている。

 目の前に次々現れることをただ必死にやるうちに、人との出会いが生まれ、予想もしない機会がめぐってきた。根本的には元のままでも、人として変わった部分もある。昔の像で人から見られているのを感じると、少し前にはやった歌の歌詞のようにつぶやきたくなる。そこに私はいません――と。

 この日の帰宅はけっきょく未明になった。スケッチブックを抱えた配偶者とタクシーで家に着いた時には「7月19日」は終わっていた。1日生きればそのぶん、死に近づくことになる。その1日を、ほかの出演者やお客さんと分かち合えた自分を、幸せだと思った。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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