その結果、パシュトゥーン人の国であるアフガニスタンと、パシュトゥーン人の街であるペシャワールが国境を挟んで存在するという構造になってしまった。ペシャワールがアフガニスタンに通じているのは当然のことだった。そしてこの街はいつもにぎわっている。19世紀からの政治力学を無視するかのように、パシュトゥーン人の主要都市であるかのような自由さを湛えていた。だからこの街が好きなのかもしれない。

 いまそのペシャワールにいる。ラワルピンディから列車でやってきた。終着駅のペシャワール・カントンメント駅で降りた。

 街に入り、ホテルを探した。フロントでマネージャーは申し訳なさそうな顔でこういった。「政府の通達で、外国人は泊めることができなくなったんです」

 何軒かのホテルに断られた。街では検問が頻繁に行われていた。なにか空気が違う。

 ペシャワールが、パシュトゥーン人の街から、パキスタンの街になりつつある。アナーキーの香りがする自由さが消えつつある。

 街の食堂で、羊肉のハンバーグを食べた。主人は金はいらない、といった。35年前の難民キャンプを思い出した。

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