本塁を踏んだ後、次打者の打球が好捕されて立ちつくす鹿屋中央の松山竜平(現広島) (c)朝日新聞社
本塁を踏んだ後、次打者の打球が好捕されて立ちつくす鹿屋中央の松山竜平(現広島) (c)朝日新聞社
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 記念すべき第100回全国高校野球選手権記念大会がついに開幕し、今年もどんなドラマが生まれるか大いに楽しみだが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現在プロ野球でプレーする選手の“意外な過去”を振り返ってもらった。

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 高校野球ではときどき「1番投手」の珍打順がお目見えする。享栄時代の大島洋平(現中日)も、3年の夏は1番投手だった。

 2年の夏は2番センターとして3番・武山真吾(現中日)ら中軸へのつなぎ役を務め、5試合で18打数7安打3打点を記録。準決勝で嶋基宏(現楽天)の中京大中京に4対6と惜敗した。

 新チームでは「本来は野手として使いたい選手だが、野球センスが抜群」(柴垣旭延監督)という理由で、エースになった。

 最後の夏となった2003年の愛知県大会、大島は全試合に先発し、リリーフにスイッチ後はセンターを守る継投パターン。2回戦の菊華戦では7回2/3を4安打無失点に抑え、3回戦の国府戦も7回途中まで3安打無失点、4回戦の昭和戦も3試合連続の完封リレーで勝ち上がった。

 だが、ベスト16の5回戦、愛工大名電戦では、序盤から制球に苦しみ、初回に四死球と長短打で3失点。3回にも2安打と2死球で1点を追加され、早々とセンターに下がった。

 そして、2対8の6回に堂上剛裕(元中日-巨人)の2ランでとどめを刺され、無念の7回コールド負け。甲子園は夢と消えたが、この日も4打数2安打、4試合で16打数7安打と好打者ぶりをアピールした。

「鹿児島のじっちゃん、ばあちゃん!オレやったよ!」の決めゼリフで知られる広島の“アンパンマン”松山竜平は、鹿屋中央1年夏から4番ファーストに座り、通算20本塁打を記録。“大隅のボンズ”の異名をとったが、最上級生になった2003年4月、チーム事情から投手に転向した。

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幻の同点劇…