だが、そんな落合の前に立ちはだかったのが、「捕手の首位打者がどれだけ大変か。どうしても(古田に)獲らせてやりたい」と願うヤクルト・野村克也監督だった。
直接対決となった10月13日のヤクルト戦(神宮)、野村監督は当然のように古田を欠場させ、落合に対して徹底的な四球攻めを行う。
1、2、3、5、7、8回と歩かせること6度。なんと、1試合6四球のプロ野球新記録となった。
「(四球の)記録は知っていたが、どう言われようと、オレが一人でかぶりゃいいんだ」という野村監督の不退転の決意に、さすがの落合も気持ちが切れたのか、翌14日の大洋戦(ナゴヤ)では4打数無安打に終わり、古田との差は絶望的とも言うべき7厘に開いた。
だが、ここから新たなドラマが幕を開ける。15日の広島とのダブルヘッダー第1試合、落合は4打数3安打と固め打ちすると、第2試合でも2打数2安打を記録し、ついに古田を5毛差で逆転して全日程を終えた。まさに男の意地!である。
ところが、古田も負けていない。シーズン最終戦となった翌16日の広島戦(神宮)に先発出場すると、第1打席で左前安打を放ち、自力で再逆転したのだ。
かくして、落合の首位打者は1日天下で終わったが、シーズン終盤恒例の四球合戦にうんざりしていたファンにとっては、最後の最後までワクワクさせてくれたという意味で、最も記憶に残るシーズンとなった。
落合といえば、中日時代の1989年8月12日の巨人戦(ナゴヤ)の9回裏、ノーヒットノーランを阻止された直後の斎藤雅樹から逆転サヨナラ3ランを放ったエピソードが有名だが、晩年の日本ハム時代にも、もうひとつのノーヒットノーラン絡みのヒーローエピソードがあった。
97年9月14日の近鉄戦(大阪ドーム)、日本ハム打線は小池秀郎の前に沈黙し、7回までノーヒット。0対3で迎えた8回も先頭のウィルソンが中飛に倒れ、ブルックスが四球を選んだ後、1死一塁で落合に打順が回ってきた。
8月に左第4指末節骨を脱臼し、9月9日のダイエー戦(福岡ドーム)で復帰したばかりの落合は、本調子にはほど遠く、1打席目は中飛、2打席目は三振に打ち取られていたが、「オレが打たなきゃ、絶対やられる」と意識して止めに行った。