日本ハム時代の落合博満 (c)朝日新聞社
日本ハム時代の落合博満 (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る

 2018年シーズンも前半戦、早くも後半戦の展開に思いを巡らせる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる “B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「やっぱり天才は違うね!落合博満編」だ。

*  *  *

 1982年以来、2度目の三冠王に狙いを定めていたロッテ時代の落合博満が2打席連続場外弾を含む3打席連続本塁打を記録したのは、1985年9月18日の西武戦(秋田)だった。

 2回表、本塁打王争いのライバル・秋山幸二が左翼場外に先制の35号ソロを放ち、2本差に迫られたことが、呼び水になった。

「あのホームランで気合いが入った」という落合は、2対2の4回、同じ秋田出身の小野和幸から右中間に38号の決勝ソロ。6回にも小野から左翼場外に39号ソロを放つと、6対3の8回にも2番手・石井毅から左中間場外に40号ソロと自身初の3打席連続弾。あっという間に秋山に5本差をつけた。

 地元・秋田での公式戦は、83年は体調不良で欠場、翌84年も3打数1安打1四球とノーアーチに終わっていただけに、「3年分を打った感じ」とホッとした様子。

 もうひとつ付け加えれば、この日は信子夫人の誕生日でもあった。通算500安打、1000安打、1500安打、2000安打と節目の安打すべてを本塁打で飾った落合だけに、愛妻に贈る3連発もけっして偶然ではないように思える。

「今回は3つ獲るつもりで(秋田に)来たから、知人への挨拶もなし。三冠王(獲得)でお返しだ」の公約どおり、同年は打率3割6分7厘、52本塁打、146打点で3年ぶりの栄冠を手にした。

 中日移籍5年目の1991年、37歳の落合は史上2人目の両リーグ首位打者と1979年にミヤーン(大洋)が記録した史上最年長首位打者(36歳)の更新を目指していた。

 残り4試合の時点で打率3割3分5厘。トップの古田敦也(ヤクルト)に4厘差と迫り、逆転の可能性は十分あった。

次のページ
野村監督の“四球攻撃”