●江戸と富士山の関係

 江戸市中に火山灰が降るほどの影響を与えた「宝永大噴火」のように、政治の中心であった関東にとって富士山の活動による影響は大きく、浅間神社が多く作られていった。中でも、江戸中期以降江戸の町に広まった「富士講」は人気となり、「江戸八百八町に八百八講、講中八万人」と言われ、ほぼすべての町に富士講が存在したようだ。

 町内で会費を集め、代表を富士登山へ送り出すシステムのほか、各町内に小さな富士塚を作り、富士山の代わりに登山することで誰でも見立て富士山へ登ることができた。当時、富士山はじめ霊山への入山は男性のみとされ、女性の登山は禁止されていたため、富士塚だとしても女性にとってはありがたいものだったろう。

●今も登頂できる富士塚

 上記のような理由から、富士塚の多くは関東に存在している。最古の富士塚と言われるのが、今も早稲田に残されている「高田富士」で、今年も7月15・16日の2日間、開山され登ることができる。境内に小さな祠だけが残る富士塚もあるが、ほかにも登山できる富士塚が関東一円にかなり残されている。6月30日・7月1日に山開きをする小野照崎神社(下谷)の富士塚は国の重要有形民俗文化財に指定されているし、日中ならいつでも登頂できる成子天神社(西新宿)、鳩森八幡神社(千駄ケ谷)、品川神社などの富士塚の山頂からの眺めは清々しい。

 さて、12月の大祓の翌日に初詣が行われることに習い、三社祭で知られる浅草神社の提唱で7月1日から1週間の間、「夏詣」という行事が2014年より推進されている。まだ参画する寺社は関東地区が中心だが、さまざまな企画や限定の御朱印が用意されるなどして、話題となっている。夏越の祓から7月7日の七夕までの期間、猛暑に負けない体づくりを目指しての寺社参りが新しい習慣として根付いていくのも良いことかもしれない。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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