さて、世間では誤解をされているが、免疫の本質は自己と非自己の鑑別であって、持続的な免疫の活性化は自己免疫疾患や感染に対するコントロール不能な炎症をもたらす。従って、免疫力を高めれば病気が治るというのは完全な誤解であり、制御性T細胞や抑制性サイトカインによる寛容が重要である。寛容(Tolerance)自体 比較的新しい言葉であり、宗教戦争で殺伐とした16世紀ヨーロッパに異なった立場の共生を認めるために提唱された(「愛について」香久山雨2017)。同義語は遡ると古代ローマ(キリスト教以前)のClementiaに行きつく。日本の八百万の神々には及ばないものの古代ローマでは非征服者に市民権を与えるにあたって、彼ら彼女らの信仰する神々をローマ多神教に鷹揚に取り入れていった。現代風にいうと多様な価値観を受け入れることができたのであろう。

 西郷隆盛は確かに明治維新の立役者であり、偉大な人格者だったことから同時代の人びとや後世に大きな影響を残したことは間違いない。しかし、一方ではあくまで旧時代の武士道の追及者であり、毛沢東と同じ農本主義者・永久革命家(『歴史と戦争』半藤一利)でもあった。

 維新後の西郷は、維新政府が万事西洋化し、尊王攘夷の志士たちが政府や軍の高官となって贅沢をしていることが我慢できず、死に場所を求めるようにかった。これが彼の限界でもあり、維新政府に不満を持つ薩摩士族の首領に祭り上げられたときに断れなかった理由でもあろう。そして明治10年 私学校の生徒を中心とする薩摩軍の旗頭となり、半年の激戦の後に城山で政府軍に首を授けることになる。昔も今も炎症性腸疾患に(私)学校は取り合わせが悪いようである。

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