西郷隆盛は確かに明治維新の立役者であり、偉大な人格者だったことから同時代の人びとや後世に大きな影響を残したことは間違いない。しかし、一方ではあくまで旧時代の武士道の追及者であり、毛沢東と同じ農本主義者・永久革命家(『歴史と戦争』半藤一利)でもあった。

 維新後の西郷は、維新政府が万事西洋化し、尊王攘夷の志士たちが政府や軍の高官となって贅沢をしていることが我慢できず、死に場所を求めるようにかった。これが彼の限界でもあり、維新政府に不満を持つ薩摩士族の首領に祭り上げられたときに断れなかった理由でもあろう。そして明治10年 私学校の生徒を中心とする薩摩軍の旗頭となり、半年の激戦の後に城山で政府軍に首を授けることになる。昔も今も炎症性腸疾患に(私)学校は取り合わせが悪いようである。

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