NHK大河ドラマ「西郷どん」は、渡辺謙扮する島津斉彬の死で一つの節目を迎えた。主演で鈴木亮平が演じる西郷隆盛は、実際はフィラリアの感染による象皮病という持病があったとされるが、それ以外にもある疾患に悩まされていた。『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。今回は西郷隆盛を「診断」する。
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西郷隆盛というと、巨大な体躯をもった鷹揚な人格者というイメージがあるが、これは西郷の崇拝者や彼自身が意識して作り上げたものである。薩摩では上に立つものはカミソリのような切れ味の持ち主でも爪を隠してぼっとしているように見せるという美意識があった。これは弟の海軍大臣・西郷従道や、従弟の陸軍元帥・大山巌にも受け継がれている。
実際のところ、維新前後の西郷は幕府や諸藩との政治的駆け引きで凄腕を発揮した冷徹なマキャベリストであり、決して小説やドラマに出てくるような単純な激情家ではない。しかし、藩と国家の命運を背負った政治活動はストレスの多いもので、持病の腹痛と下痢に苦しめられる。
安政2年、将軍後継者問題で一橋慶喜をおす島津斉彬のもとで工作に当たっていた西郷は、主君の子息虎寿丸の急逝、幕閣政治の難航から強いストレスがあり、50回を超す下痢に苦しめられていた。故郷の友人樺山三圓に、「盆前より暑邪に当られ、頓と痔(痢の誤字)病様にて五十度計も瀉し候へ共、もふは本腹仕り候」と書き送っている。
■潰瘍性大腸炎とクローン病からなる炎症性腸疾患?
維新の後、明治新政府の参議、唯一の陸軍大将となった後も症状は変わらず、むしろ悪化の一途をたどった。しばしば政務を離れて狩猟や湯治に出かけたが症状は変わらず、薩摩で藩政を担当する桂久武への明治2年の手紙には、「昼夜には二十四五度の瀉し方にて、間には下血致し候得共、頓と気分は不相変」と書いている。湯治に行っても腸の具合はよくならず、以前からあった「腹痛」と「下痢」に「下血」が加わった。