さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第47回は中国の西安駅から。
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街に華やかなものがなにもない。歴史の街だから、現代中国を象徴するような近代的なビルは不釣り合いなのかもしれない。いや、そんな意図も伝わってこない。ただの地方都市という形容しか思い浮かばない。
西安──。イメージが膨らみすぎていたのかもしれない。
西安はかつて長安と呼ばれていた。紀元前から続いた中国の中心である。それは唐の時代まで続いた。その期間は軽く1000年を超える。唐の時代、長安は世界でいちばん大きな街だったという。中学の教室を思い出す。日本の平城京や平安京は長安をモデルにつくられた……。
なんだかすごい街だと思っていたのだ。なにかすごいのかもわからないまま。それでいて、訪ねたことはなかった。中国に向かうようになり、西安という地名が浮かばなかったわけではないが、そこに兵馬俑や大雁塔などといった世界遺産がリンクしていて、つい腰が引けてしまった。団体バスが次々に横づけする観光地は、昔から苦手だった。
昨年(2017年)の暮れ、西安に向かったのは別の理由だった。玄奘三蔵がインドまで大乗仏教の教理を求めて向かったルートを辿るという旅がはじまった。玄奘三蔵の旅の出発点が西安だったのだ。
西安の郊外に興教寺という寺院があり、その境内にある舎利塔に玄奘三蔵の遺骨があるとされていた。ここも世界遺産に指定されていた。しかし訪ねてみると、人の気配のない寺があるだけだった。観光客もわずかだった。
だからよけいにそう思ったのかもしれない。西安の街はどこか沈んでいた。中心街にはショッピングモールもあるのだが勢いがない。歴史は金儲けにならないということ? そんな気がしてきた。