働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
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腫瘍マーカーの値が高い、という人間ドックの結果が届いた翌週。2016年1月下旬。福島市内の総合病院でさっそく、仕事の合間に精密検査を受ける日々が始まった。
まだ病気ではないかもしれないし、逆に、いくつも病気を抱えているかもしれない。
何らかの病気を裏付ける兆しはないか。少なくともこの病気ではない、と否定する材料はないか。多い時は一日に複数の日程をこなしていった。
膵臓(すいぞう)がんの生存率は、がんの中でもとりわけ低い。あけすけに言えば、死にもっとも近いがんだ。
「そうだったら嫌だな」と配偶者に話していた病名を自分が疑われている。そのことはほどなくわかった。
マーカーにはそれぞれ特徴がある。ある病気に反応しやすいとか、反応しにくいといったものだ。ドックで使った2種類をネットで調べ、一方の高値ともう片方の正常値を突き合わせると、それ以外の可能性はほぼ消えたように思えた。
検査後は毎回、診察室で医師と話す時間がある。
「もしかしたら膵臓がんかな?って思っちゃうんですけど」
ある日、若い医師にわざとゆるい言い方で探りを入れたところ、「それは精密検査の結果を見なければわかりません!」と返ってきた。返事の中身は想定内だ。だが「それ以上尋ねるな」と言わんばかりの口調の強さに、これはアタリだ、と確信した。
もちろん「参ったな」と感じた。おそらくフーッと息を吐いたはずだ。だが正直言うと、胸の奥でじわっと喜びもわいた。
相手が隠そうとしていることを探り当てた。自分の命がかかっているのに、さすが新聞記者――。そんな気持ちだ。
数日後。1月26日のエコー検査ではこの傾向がさらに強まった。
ベッドに横になり、超音波で体内の様子を調べる器具をお腹にぐりぐり押しつけられた。ところが隣に置かれたモニターに画像がうまく映し出されない。「『手』を変えます」。担当者は同僚を呼び出し、こう引き継いだ。「この方が『しゅすいかん』の『たいぶ』が狭くなっていて、もしかしたら……という方です」