たぶん大丈夫だよ、と相手を安心させたくなるのがふつうだと思う。気持ちは同じだ。だがそれでは、いざ病気だった時にショックが大きく、治療に踏み出すのが遅れるかもしれない。あえて病気の可能性を残し、不安を完全にはぬぐい去らないでおく。そうすれば、結果的に病気でなくても「ああよかった」で済む。

 そのまま間を置かずに、すでに決まっている精密検査の日程を伝えた。ささいなことと思われるかもしれないが「何日の検査を待とう」と気持ちを切り替えられるのと、日程も中ぶらりんのまま週末を迎えるのでは、心のありようが違う。そう思い、週末に入る前に予約を済ませておいたのだ。

 不安は「空白」から生まれる。今後の日程が決まっていないとか、必要な知識を持ち合わせていない、といったことだ。「どんな病気が考えられるか」「いつ精密検査を受けるのか」と彼女は当然、疑問に思う。それに一通り答えられなければ必要以上に不安にさせるだけだ、と漠然と感じていた。

 こんな時だからこそ言い方を工夫し、あえて最悪のケースにも触れた……と思っていたのは自分だけだった。この一文を書くために彼女に確かめると、私は結婚前からいつもそうだった、という。たとえば「きょうだいの家でバーベキューをしよう」という話が出たときも、「これこれの場合は無理かもしれない」といちいち付け加えていたそうだ。

 命に関わる情報と休日の過ごし方では、重みがまるで違うのに、行動パターンが似てくる。まして危機を乗り越えるといった共通点があれば、なおさら対応は似通ってくるのは当然だと、病気になってから気づいた。受験離婚の危機、子どものいじめ。別々のように見えても、けっきょく人間は同じようにしか対応できないのかもしれない。

 その日の配偶者とのやりとりは「まずは検査を受けてから」で終わった。自分がそれほど検査結果を気にしたという記憶はなかった。

 しかし、これも彼女によると、私の様子はふだんと違った、という。

 ベトナム料理から一夜明けた土曜日の朝。「天気がいいからどこかにお出かけしよう」と言う彼女に、私は「自分がこんな状態なのに?」といった意味のことを言って不思議そうな顔をしたという。その翌日の日曜日、福島に戻る新幹線の出発駅の近くで昼食をとった。私が選んだのは野菜料理の店で、「ふだんなら牛タンとかウナギとか『がっつり』した食べ物を選ぶのに」と思った、と彼女は振り返る。その後、私はデスク勤務のため福島へ。彼女は大型書店でがん関係の本を5冊買い、写真をメールに添付して送ってきた。

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