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 体が資本であるプロ野球選手であるが、その中には過去、そして現在も病と闘いながら現役を続けている選手たちがいる。大病という困難を乗り越えた、あるいは乗り越えようとしている不屈の男たちを紹介したい。

■内川聖一(ソフトバンク

 横浜時代の08年に右打者史上最高打率.378を記録し、以降7年連続打率3割を達成。ソフトバンク移籍後の11年には史上2人目となる両リーグでの首位打者獲得者にもなった内川が病を患ったのは、大分工業高校1年の秋だった。骨に穴があいて黄色の液体が溜まる「骨嚢腫」(こつのうしゅ)を左かかとに発症。計3度の手術で約3カ月の入院を強いられた。だが、歩くのもままならない日々を乗り越えて高校通算43本塁打をマーク。甲子園出場はならなかったが、00年のドラフト1位指名で横浜に入団。希代のヒットメーカーとしての才能を開花させていくことになった。

■山崎福也(オリックス

「生存率10%」と言われた中から這い上がったのが、14年のドラフト1位でオリックスに入団した左腕、山崎だ。病名は「脳腫瘍」(小児延髄上衣腫)。中学3年の11月の検査で判明した。だが、6時間を超える手術が無事に成功すると、その後は驚異的な回復力を見せ、進学した日大三高で甲子園に出場して3年春の選抜大会で準優勝。明治大でも東京六大学通算20勝(10敗、防御率2.20)を挙げてエースとして活躍した。そしてプロ1年目の6月5日の中日戦(ナゴヤドーム)で念願のプロ初勝利。昨季までの3年間で8勝13敗(防御率4.17)と負け越しているが、今季は「奇跡のサウスポー」による“リベンジ”に期待したい。

■岩田稔(阪神

 今季でプロ13年目を迎える阪神の左腕・岩田は、現在も病と闘い続けている選手である。大阪桐蔭高校2年生の冬、ウイルス感染が原因で「1型糖尿病」を発症。その後はインスリンの注射を打ちながらの生活を強いられた。病気を理由に社会人チームへの入社を取り消され、進学した関西大学では故障に悩まされたが、05年のドラフト希望枠で阪神に入団すると、3年目の08年に2ケタ10勝をマーク。昨季までに172試合に登板して56勝(72敗、防御率3.25)を挙げるとともに、同じ病気に苦しむ患者たちの支援活動にも積極的に取り組んでいる。

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阪神の「糸井2世」も復活を目指す