日米野球最終戦を終え、表彰式を前に談笑するMVPのソーサとイチロー=98年撮影 (c)朝日新聞社
日米野球最終戦を終え、表彰式を前に談笑するMVPのソーサとイチロー=98年撮影 (c)朝日新聞社

 メジャーリーグから選抜されたオールスターチームが来日し、日本代表チームと激突した日米野球は2年ごとに開催されるオフの風物詩だった。

 2006年にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が始まったことで役目を終えたとして同年秋を最後に開催が中断されているが(※2014年に侍ジャパンの強化試合という形で一時的に復活している)、今年の夏にメジャーリーグ機構が各球団に通達した新労使協定には、2018年と2020年にあらためて日米野球を開催するという計画が盛り込まれた。

 メジャーを代表するスーパースターたちの来日、異国の地で活躍する日本人選手たちの凱旋が今から待ち遠しいが、その前にこれまでの日米野球の名勝負を振り返っておこう。

【清原和博vsランディ・ジョンソン】

 1990年の第8戦、先発チャック・フィンリーの後を受けてメジャー選抜の2番手でマウンドに上がったのは“ビッグユニット”ことランディ・ジョンソン。通算303勝、4875奪三振を挙げるメジャー史上屈指の名左腕も、この当時はまだメジャー3年目の27歳。6月にマリナーズ史上初のノーヒットノーランを達成してオールスターにも初選出、キャリア初の2ケタ勝利となる14勝(11敗)と、ようやく一流投手の仲間入りを果たしたばかりだった。

 そのジョンソンは、無安打の好投を披露したフィンリーに負けじとノーヒットピッチングを展開。8回に2死一塁で清原和博を打席に迎えた。

 23歳の清原はこの年、キャリアハイの37本塁打を放ち、打率.307、94打点と絶好調。ただしこの日米野球では、ひざなどに故障を抱えての出場だった。

 注目の対決はスライダーや速球をファウルした後、カウント1-2から清原がジョンソンの速球をとらえたが、打球はどん詰まりのセンターフライだった。

 そして、ジョンソンは9回も無安打に抑え切り、メジャー選抜と日本選抜が対戦した日米野球では史上初のノーヒットノーランをフィンリーとの継投で達成している。

次のページ