いじめは学校だけにとどまりませんでした。私たちアイルランド系移民のコミュニティは「強いしがらみ」によって成り立っています。いまの日本でも存在しない「田舎の村社会」のようなものでした。ですから、学校のいじめは生活全般のつながりに直結してしまいます。正直、どうやっても逃げようがなく、まったく出口が見えない地獄のような日々をすごしました。
結局、母が何かを悟って突如として引っ越しを決め、転校したことによって救われました。これは相当の決断だったと思います。母としては生まれ育った故郷から距離を取ったわけですからね。
――なるほど。
逆にハッチを知っていたことによって救われたケースもありました。高校生時代も私は学校のなかで居場所を失いかけたことがあります。そのときはいじめではなく、教室になんとなく居づらく、勉強が手につかないことが要因でした。けれども、私自身は学校外のダンスチームに所属していたので、自尊心を損なわずにいられました。
中学生時代と高校生時代でのちがいは、ハッチが見えたか否か。そしてハッチの先に魅力的な場があったかどうかです。そうした経験から思うのは、不登校という大きなハッチだけでなく、あらゆるレベルのハッチが子どもたちから見える必要があると思うんです。校外には地域の同好会やサークル、学校のなかにも保健室や図書室といった「教室とはちょっとちがう場」もあります。ハッチの先にはもう一つの魅力的な世界が広がっていること、これを周囲が示していく必要があると思うんです。
(聞き手・石井志昂)
石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた