この記事の写真をすべて見る
 文部科学省の調査によると、2016年に年間30日以上欠席した小中学生は全体の2割にあたる13万4398人にのぼった。ホームスクーリングという学校以外の選択肢がある海外からは、この現状がどう見えるのか。不登校新聞の編集長・石井志昂さんが、ニューヨーク生まれの日本文学研究者、ロバート キャンベルさんに聞きました。

*  *  *

――日本には不登校の子が13万人以上いますが、この現状についてどう感じますか。

 国際的な調査に照らしてみると、日本の公教育は優秀です。アメリカのように格差がひどいわけではなく、日本では「みんな同じようにできる」ようになっています。しかし、その一方でみんなと「ちがう人」への眼差しや待遇はけっしていいとは言えません。

 私は日本の義務教育を受けていませんが、不登校は大きなハッチ(非常口)です。そのハッチに向かうかどうかは、自分の体と時間の使い道を自分で決めるということですから、当たり前に認められる権利です。

 いま大切なのは不登校だけでなく、家庭や学校のなかでさまざまなレベルのハッチを子どもから見えるようにすることではないでしょうか。

――「ハッチが大事」という考えは、いつごろから持っていましたか。

 私が生まれ育ったのはアメリカ・ニューヨーク市の最も北にあるブロンクス区です。そこは、そんなに治安のよいところではないのでハッチを探す習慣が自然と身に着きました。もちろん、ハッチというのは自分自身が望んで向かうものではありませんが、「逃げ道を探すから弱腰になってしまう」なんて思っていたら本当の窮地に対応できなくなってしまいます。なので、正確に言えば「ハッチを探す習慣がある」というより「ハッチを探す自分を許すことができる」と言ったほうがいいでしょうか。

 しかし、そんな私でも「ハッチがまったく見えなかった」という経験もしています。それが学校で起きたいじめでした。日本で言えば中学2年生のころ、突如として同級生から攻撃を受けるようになりました。待ち伏せされてボコボコに殴られたり、物を盗まれたりすることが毎日のように続いたんです。確たる理由は思い当たりません。

次のページ