私もそうです。高校二年生のとき、父を亡くしました。専業主婦だった母は、専門学校に通い、就職しました。生活は苦しかったでしょう。母が、私と弟の成長に期待していることは痛いほどわかりました。母方の祖父は医師であり、母は医師という仕事を尊敬していました。明言はしませんでしたが、私たち兄弟が医学部に進むことを期待していました。私たち兄弟は医学部に進み、私は内科医、弟は外科医になりました。個人的経験ですが、男性医師の多くは、大なり小なり、こうした経験があるのではないでしょうか。
対照的に、多くの女性医師の腹がすわり、リスクをとる気質があるのは、女性医師を取り囲む社会環境が関係していると考えています。女性の社会進出が進み、支援体制が整備されたとしても、女性医師の負担は少なくありません。娘を医師にすることに素直には賛成しない親が多いかもしれません。
歴史を振り返れば、医師からは多くの社会改革者が生まれています。チェ・ゲバラ、孫文などが、その代表です。
1968年に始まった東大紛争でも、医師の卵たちが大きな役割を果たしました。東大紛争が始まったきっかけは、医学部のインターン制度廃止を軸とした研修医の待遇改善要求ですし、69年1月の東大安田講堂事件で、立て籠もった学生のリーダー(全共闘防衛隊長)の今井澄氏は、当時東大医学部の学生でした。
今井氏も「革命家」の一人です。今井氏は、東大安田講堂事件後、逮捕され、約一年間東京拘置所に勾留されました。70年に東大医学部を卒業し、長野県の組合立諏訪中央病院などに勤務しました。その後の医師人生は波乱万丈でした。77年には東大安田講堂事件の判決が確定し、静岡刑務所で服役します。78年に復職すると、80年には40歳で院長に就任しました。現在、組合立諏訪中央病院は地域医療の成功モデルとして有名ですが、これは今井氏の功績が大きいと考えられています。
今井氏は、92年には参議院議員として国政に進出し、参議院の決算委員長や厚生委員長を務めますが、2002年62歳で、胃がんで亡くなりました。